高くんの旅のその後 2
今、イランを旅中の高くん。
あれから1週間ほど音沙汰がなかったけど、今週に入って「今、テヘラン」とメールがあった。
以前、テヘランの安宿「マシュハド・ホテル」を教えていた。
マシュハドホテルに私が泊まったのは2000年の7月。
真新しい情報ノートに、2日間かけて小さい字でびっしりヨルダン、モロッコの情報を地図&絵付きで
むっちゃ詳しく書いた。
高くん、その話を覚えていてくれたみたいで
「かおりさんが書いた情報ノートは見つかりませんでした。情報ノートは2004年が最新でした」
私が書いた情報ノートはいったい何処に・・・?
もう無いという悲しいお知らせやったけど、
高くんが覚えてて、探してくれたことに私は嬉しかった。
高くんはトルコのビザが取れないと言われても自分で直接交渉してみないと
どうしても納得ができなくて、直談判しに行ったらしい。
しかし、「一度中国に帰ってビザを申請しろ」と言われたそうな。
いくらなんでもそれはないよなー
「もう諦めて、30日にレバノンのベイルートに飛びます」
やっぱ、トルコ・ビザは直接行ってもやはりダメだったみたい・・・
テヘランの宿はネットOKなのか頻繁に連絡を取り合った。
シリアに住むsunnyちゃんの家にお世話になるのか悩んでいるのかなー?って少々心配したけど、
「すぐに連絡します」という返事。
そうか、そうか。
高くん、sunnyちゃんの家でお世話になるのね〜
私としては、お互いが羨ましい。
自分の家に高くんが泊まるsunnyちゃんも羨ましいし、
ダマスカスに住むsunnyちゃんのあの広いアパートにお世話になる高くんがとっても羨ましい。
だって・・・
私、この正月(12月)にシリアに行って、sunnyちゃんの家に泊まりに行くつもりしてたもん〜
高くんいいなぁ〜
はぁ〜
私の密かなる計画では、シリアで高くんと再会する予定やってんけどなぁ〜・・・
残念・・・
ともあれ、無事に高くんがシリアに行ったときには、sunnyちゃんと会えそうで、
私としては一安心。
高くんは、ガイドブックはもってないらしい。
大学の図書館のガイドブックをスキャンして、パソコンに保存したものしかないから、
ガイドブックの説明を読みながら旧跡や名所を見るのは不可能。
もちろんガイドブックの地図を見ながら目的地に行くのも不可能。
すべて記憶して旅してるみたい。
ひーえーーー
あ・・・
でも、私も最近はガイドブックは持ち歩かず旅してるなー
ま、それは貴州省などはガイドブックにもともと全く載ってないから、
持って行っても意味がないんですけどね。
だから、安宿も自力で見つけてる。
しかし、規模の小さい町ならまだしも、大きな街(テヘラン)など、
道の名前など調べながら歩かないと、目的地に行くのってけっこう大変と思う。
高くんは、いろんな人から情報をもらい旅しているみたい。
「幸い途中いろんな旅行者と会って、新しい情報を常に手に入れることができています。
日本語と英語両方できるのは、旅に大変役にたちます。」
確かに、日本人はどこに行ってもいるもんなー
世界各国に「日本人宿」と言われる日本人ばかりが集まってる安宿が存在する。
そこに行けば、日本語でいろんな情報を入手できる。
高くんは英語もできるし、コミュニケーションで情報をGETしながら旅をしてるみたい。
これぞ本当の旅。
しかし、最後にこんなことが書かれてあった。
「ビザのこと以外は、本当に日本人と同じように旅できる。」
高くんはビザで苦労してるみたい。
でも、他の中国人がしていない、できないことをどこまでできるか挑戦してるみたい。
sunnyちゃんは旅慣れてるし、イスラムの国々に詳しいし、情報をいっぱい持ってるから
高くんの力になってくれることでしょう。
sunnyちゃんが知らなくても、彼女の友人には強力な助っ人がたくさんいる。
その1人が、アフリカにも詳しく、情報提供してくださっている。
ほんとうにありがたいです。
実は、高くんの旅に支障がでまして。。。
ちょっといろいろありまして・・・
ここ数日、sunnyちゃんと高くん3人で、頻繁に連絡を取り合っている。
解決策が見つかったと思ったら、またそこで難題が降りかかる。
それもなんとか問題解決できるかと思ったら、またそこで問題が出てくる・・・
そんなことを何度も繰り返している。
その度に、sunnyちゃんがいろんな人から情報を求め、知恵を絞ってくれている。
sunnyちゃんをはじめ、皆さんのあたたかさに感激しています。
ありがとうございます。
とろこで、みなさん、「闇宿」って知ってました?
「安宿」ちゃいまっせ。
「闇宿」やって〜
中東の闇宿の情報をお持ちの方、ご一報をお願いします。
---------------
高くんの旅の話をしてますが、
実は、今日。
11/26(木)私の講演があるんですわー
2週間前に打ち合わせに行くと、40名ほどの申し込みがあると聞いていた。
1週間前、プロジャクターとパソコンのチェックに行くと、
70名の予約が入っていると聞いてビックリ。
この数日でまた増える可能性があるかも!?
講演の会場は定員50名の部屋。
机なしにして椅子だけにすれば80名ほど入れるらしい。
今日、どうなっているんやろう?
どんな講演でも、1週間前になると、緊張というか、なんともいえない落ち着かない気分になる。
今日、みんなの心をうまく奪えるやろうか・・・?
今から気分を高めます!!!
あれから1週間ほど音沙汰がなかったけど、今週に入って「今、テヘラン」とメールがあった。
以前、テヘランの安宿「マシュハド・ホテル」を教えていた。
マシュハドホテルに私が泊まったのは2000年の7月。
真新しい情報ノートに、2日間かけて小さい字でびっしりヨルダン、モロッコの情報を地図&絵付きで
むっちゃ詳しく書いた。
高くん、その話を覚えていてくれたみたいで
「かおりさんが書いた情報ノートは見つかりませんでした。情報ノートは2004年が最新でした」
私が書いた情報ノートはいったい何処に・・・?
もう無いという悲しいお知らせやったけど、
高くんが覚えてて、探してくれたことに私は嬉しかった。
高くんはトルコのビザが取れないと言われても自分で直接交渉してみないと
どうしても納得ができなくて、直談判しに行ったらしい。
しかし、「一度中国に帰ってビザを申請しろ」と言われたそうな。
いくらなんでもそれはないよなー
「もう諦めて、30日にレバノンのベイルートに飛びます」
やっぱ、トルコ・ビザは直接行ってもやはりダメだったみたい・・・
テヘランの宿はネットOKなのか頻繁に連絡を取り合った。
シリアに住むsunnyちゃんの家にお世話になるのか悩んでいるのかなー?って少々心配したけど、
「すぐに連絡します」という返事。
そうか、そうか。
高くん、sunnyちゃんの家でお世話になるのね〜
私としては、お互いが羨ましい。
自分の家に高くんが泊まるsunnyちゃんも羨ましいし、
ダマスカスに住むsunnyちゃんのあの広いアパートにお世話になる高くんがとっても羨ましい。
だって・・・
私、この正月(12月)にシリアに行って、sunnyちゃんの家に泊まりに行くつもりしてたもん〜
高くんいいなぁ〜
はぁ〜
私の密かなる計画では、シリアで高くんと再会する予定やってんけどなぁ〜・・・
残念・・・
ともあれ、無事に高くんがシリアに行ったときには、sunnyちゃんと会えそうで、
私としては一安心。
高くんは、ガイドブックはもってないらしい。
大学の図書館のガイドブックをスキャンして、パソコンに保存したものしかないから、
ガイドブックの説明を読みながら旧跡や名所を見るのは不可能。
もちろんガイドブックの地図を見ながら目的地に行くのも不可能。
すべて記憶して旅してるみたい。
ひーえーーー
あ・・・
でも、私も最近はガイドブックは持ち歩かず旅してるなー
ま、それは貴州省などはガイドブックにもともと全く載ってないから、
持って行っても意味がないんですけどね。
だから、安宿も自力で見つけてる。
しかし、規模の小さい町ならまだしも、大きな街(テヘラン)など、
道の名前など調べながら歩かないと、目的地に行くのってけっこう大変と思う。
高くんは、いろんな人から情報をもらい旅しているみたい。
「幸い途中いろんな旅行者と会って、新しい情報を常に手に入れることができています。
日本語と英語両方できるのは、旅に大変役にたちます。」
確かに、日本人はどこに行ってもいるもんなー
世界各国に「日本人宿」と言われる日本人ばかりが集まってる安宿が存在する。
そこに行けば、日本語でいろんな情報を入手できる。
高くんは英語もできるし、コミュニケーションで情報をGETしながら旅をしてるみたい。
これぞ本当の旅。
しかし、最後にこんなことが書かれてあった。
「ビザのこと以外は、本当に日本人と同じように旅できる。」
高くんはビザで苦労してるみたい。
でも、他の中国人がしていない、できないことをどこまでできるか挑戦してるみたい。
sunnyちゃんは旅慣れてるし、イスラムの国々に詳しいし、情報をいっぱい持ってるから
高くんの力になってくれることでしょう。
sunnyちゃんが知らなくても、彼女の友人には強力な助っ人がたくさんいる。
その1人が、アフリカにも詳しく、情報提供してくださっている。
ほんとうにありがたいです。
実は、高くんの旅に支障がでまして。。。
ちょっといろいろありまして・・・
ここ数日、sunnyちゃんと高くん3人で、頻繁に連絡を取り合っている。
解決策が見つかったと思ったら、またそこで難題が降りかかる。
それもなんとか問題解決できるかと思ったら、またそこで問題が出てくる・・・
そんなことを何度も繰り返している。
その度に、sunnyちゃんがいろんな人から情報を求め、知恵を絞ってくれている。
sunnyちゃんをはじめ、皆さんのあたたかさに感激しています。
ありがとうございます。
とろこで、みなさん、「闇宿」って知ってました?
「安宿」ちゃいまっせ。
「闇宿」やって〜
中東の闇宿の情報をお持ちの方、ご一報をお願いします。
---------------
高くんの旅の話をしてますが、
実は、今日。
11/26(木)私の講演があるんですわー
2週間前に打ち合わせに行くと、40名ほどの申し込みがあると聞いていた。
1週間前、プロジャクターとパソコンのチェックに行くと、
70名の予約が入っていると聞いてビックリ。
この数日でまた増える可能性があるかも!?
講演の会場は定員50名の部屋。
机なしにして椅子だけにすれば80名ほど入れるらしい。
今日、どうなっているんやろう?
どんな講演でも、1週間前になると、緊張というか、なんともいえない落ち着かない気分になる。
今日、みんなの心をうまく奪えるやろうか・・・?
今から気分を高めます!!!
京都紅葉(光明寺)
三連休最終日の11/23、京都へ紅葉を見に行った。
しかし三連休ともなると京都市内どこも激混みやろうな・・・
人ごみは避けたい。
だから、京都手前の長岡天神の紅葉の名所『光明寺』に行くことにした。
朝一番に行こう!と思ってたけど、目が覚めたらもう12時!!
しかし、よ〜寝たわ。
慌てて飛び起き、1時前電車に乗り、1時15分には長岡天神駅に到着。
駅から光明寺まではバスで10分ほど。
京都東山や嵐山のように有名じゃない長岡天神だけど、けっこうお客さんが来ていて
バスは臨時便も満員。
今年は、朝晩の冷え込みもあり、京都の紅葉の色づきはなかなかいい。













光明寺は、もみじの参道があり、なかなか見ごたえがあった。
少しでも混雑を避けたい人にはお勧め!
光明寺から駅までは2キロちょい。
歩いて帰ることにした。
途中長岡天神に立寄った。

しかし三連休ともなると京都市内どこも激混みやろうな・・・
人ごみは避けたい。
だから、京都手前の長岡天神の紅葉の名所『光明寺』に行くことにした。
朝一番に行こう!と思ってたけど、目が覚めたらもう12時!!
しかし、よ〜寝たわ。
慌てて飛び起き、1時前電車に乗り、1時15分には長岡天神駅に到着。
駅から光明寺まではバスで10分ほど。
京都東山や嵐山のように有名じゃない長岡天神だけど、けっこうお客さんが来ていて
バスは臨時便も満員。
今年は、朝晩の冷え込みもあり、京都の紅葉の色づきはなかなかいい。













光明寺は、もみじの参道があり、なかなか見ごたえがあった。
少しでも混雑を避けたい人にはお勧め!
光明寺から駅までは2キロちょい。
歩いて帰ることにした。
途中長岡天神に立寄った。

酒蔵でバロックコンサート
私はチェンバロの音色が好き。
11/21(土)は、伊丹市にある みやのまえ文化の郷 伊丹市立伊丹郷町館 旧岡田家住宅・酒蔵
で、バロックコンサートがあり行ってきた。

家を出るときはなんだか天気もよく、あたたかそうだったので、少し薄着で出かけた。
しかし、それは大きな誤算だった。
伊丹駅に到着すると、なんだか風がけっこう吹いていて、それに冷たい・・・
しまった・・・
コンサート会場は室内。
しかし、酒蔵。
暖房設備はどうなってるんやろう・・・?
不安は的中。
酒蔵なだけに、暖房設備など一切ない。

(コンサート前、調律師が音の調整をしていた)
座席は自由席で早い者勝ち。

私は、早くから会場入りし並んでいたこともあって、一番前の席を確保できた。
会場は150人ほど入るからお客の熱気で少しはあたたかくなるかな??
少し期待したものの、やはりそれは無理だった。
曲は全てバッハの曲。
CMでも使われている聞きなれや曲も3曲ほどあり、
クラシック音楽に精通してなくても楽しめるプログラム。
コンサートは、チェンバロだけでなく、
バイオリン、ヴィオラ、フルート、チェロ、コントラバスのアンサンブル。
すぐ目の前で奏でる音色は美しい。
しかし、むちゃくちゃ寒い・・・
寒すぎて睡魔に襲われる。
美しい音色がさらに眠気を誘う。
眠ってもいいコンサートなら、私はすぐ爆睡してるやろう。
でも、せっかくお金も払ってるねんから、眠りたくない。
しかし、眠い・・・
それに、ものすごく寒い・・・
途中から、指先の感覚がなくなってきた。
酒蔵だから、会場は底冷え。
このコンサートを知ったのは、暑かった夏。
酒蔵でコンサートなんて、涼しげでいいなーと思い、申し込んだ。
しかし、11/21にもなると、申し込んだ季節とは大違いで、むちゃくちゃ寒かった・・・
演奏者も女性はタンクトップのドレスを着ていて、むちゃくちゃ寒そう〜
後半登場した時には、カーデガンを羽織っていた。
それほど会場は冷え込み、極寒の中でのコンサートだった。
企画としては、酒蔵でのバロックコンサートは、雰囲気もよく最高と思うけど、
もう少し時期を考えて欲しいっす・・・
11/21(土)は、伊丹市にある みやのまえ文化の郷 伊丹市立伊丹郷町館 旧岡田家住宅・酒蔵
で、バロックコンサートがあり行ってきた。

家を出るときはなんだか天気もよく、あたたかそうだったので、少し薄着で出かけた。
しかし、それは大きな誤算だった。
伊丹駅に到着すると、なんだか風がけっこう吹いていて、それに冷たい・・・
しまった・・・
コンサート会場は室内。
しかし、酒蔵。
暖房設備はどうなってるんやろう・・・?
不安は的中。
酒蔵なだけに、暖房設備など一切ない。

(コンサート前、調律師が音の調整をしていた)
座席は自由席で早い者勝ち。

私は、早くから会場入りし並んでいたこともあって、一番前の席を確保できた。
会場は150人ほど入るからお客の熱気で少しはあたたかくなるかな??
少し期待したものの、やはりそれは無理だった。
曲は全てバッハの曲。
CMでも使われている聞きなれや曲も3曲ほどあり、
クラシック音楽に精通してなくても楽しめるプログラム。
コンサートは、チェンバロだけでなく、
バイオリン、ヴィオラ、フルート、チェロ、コントラバスのアンサンブル。
すぐ目の前で奏でる音色は美しい。
しかし、むちゃくちゃ寒い・・・
寒すぎて睡魔に襲われる。
美しい音色がさらに眠気を誘う。
眠ってもいいコンサートなら、私はすぐ爆睡してるやろう。
でも、せっかくお金も払ってるねんから、眠りたくない。
しかし、眠い・・・
それに、ものすごく寒い・・・
途中から、指先の感覚がなくなってきた。
酒蔵だから、会場は底冷え。
このコンサートを知ったのは、暑かった夏。
酒蔵でコンサートなんて、涼しげでいいなーと思い、申し込んだ。
しかし、11/21にもなると、申し込んだ季節とは大違いで、むちゃくちゃ寒かった・・・
演奏者も女性はタンクトップのドレスを着ていて、むちゃくちゃ寒そう〜
後半登場した時には、カーデガンを羽織っていた。
それほど会場は冷え込み、極寒の中でのコンサートだった。
企画としては、酒蔵でのバロックコンサートは、雰囲気もよく最高と思うけど、
もう少し時期を考えて欲しいっす・・・
高くんの旅のその後
京大大学院に留学していた高くんが、今年の春卒業し夏に帰国した。
そして10月、数年前から計画していたことを実行に移した。
実家がある上海を出て中国を横断し、新疆からパキスタンに入り、中東(イスラム圏)を旅する。
3日ほど前のメールでは、まだイランにいるみたい。
イランのどの都市にいるのか書かれていなかった。
ほんとうは、イランから北に行きトルコに入ってシリア、レバノン、ヨルダンと
南下する計画だったみたい。
でも、普通の中国人はトルコへの個人観光ビザは取れないらしい。
第三国での長期滞在するビザを持っている人は取れるらしいが、
高くんの日本での滞在資格は11月頭に切れてしまっている。
タッチの差で高くんはトルコにいけなくなった。
以前、高くんにトルコの話をしたとき、「トルコに行きたいけど、中国人は難しいと思う」って言っていたことがあった。
その時、私は、「そんなことないよ〜 トルコやでー 大丈夫やって〜」と言っていたように思う。
ビザが必要な国があるけど、お金を払ってちょっとがんばればビザは簡単に取れる。
それが普通だと思っていた。
でも、世界には出身国によって、簡単に行き来できない国もあるんだと痛感した。
私は日本人ボケしてた・・・
そして、こないだ、「最終的にモロッコまで行きたいのですが、モロッコのビザを取るのに数ヶ月かかるって本当ですか?」と質問があった。
え!?モロッコにビザなんて必要やったっけー???
モロッコに行ったのはもうかれこれ10年以上前のことなので、ちょっと忘れていた。
旅行日記を見るとビザ代など書かれていない。
あれー?今はビザが必要になったんか!?
ビザが廃止になっても、必要になる国なんてそうめったとない。
調べてみると、やっぱりビザなど必要なかった。
ただし、日本人だから。
中国人はモロッコもビザが必要だった。
そういえば、私たち日本人は中国には2004年から15日以内の滞在ならビザは必要なくなった。
でも、中国人が日本に来るにはビザが必要で、
個人旅行者なら年収300万円以上ないといけないなど、条件が厳しい。
年収300万”円”でっせ!
300”元”ちゃいまっせ〜
そう考えると、日本政府もえらい厳しいですね・・・
話がそれてしまいましたが、イランからトルコに抜けれないということは、
隣のイラクを通過しなければヨルダン、シリアには行けない。
「イラクを横断します」
と高くん。
ひえーーーー!!
なんという命知らず!!
絶対アカンってーーーー
その高くんから3日前に連絡があった。
「やはりイラクを陸路で横断するのは無理なようです。
あきらめてレバノンに飛んでシリア、ヨルダンと南下します。」
あ〜 よかった〜
高くん、ヒヤヒヤさせんとってくれ〜
「イランは見所がいっぱいやから、もうちょっとイランを旅すれば?」と、私。
「お金がないので、イランでゆっくりしてられない」
旅に出ると、常に残りのお金が気になる。
ゆっくり旅したいけど、お金に余裕がないから、旅を急いでしまう。
国のよっても違うけど、一番お金がかかるのが宿代。
シリアに私の友達が住んでいる。
彼女(sunnyちゃん)の家に泊めさせてもらえれば・・・
それに、彼女はイスラム諸国をほとんど制覇していて、くわしい。
彼女と会えば、高くんの今後の旅の情報に役立つかも。
しかし、sunnyちゃんと高くんは全く面識がない。
sunnyちゃんは女性、高くんは男性。
いくら高くんが私の友達やからって、「ちょっと泊めたって〜」って言うものなんだか気が引ける。
日本にいてたら、私もそんなお願いをされても困るけど、海外なら大丈夫かな・・・???
ダメもとでシリアのダマスカスに住んでいるsunnyちゃんに高くんの写真付きで伺いをたてた。
「高くんってかっこよくないですか!?
いっぱい部屋はあるし、それぞれ鍵がかかるから大丈夫ですよ。」
と、嬉しい返事があった。
高くんは、写真写りもいいけど、実物もかっこいい。
私の講演に来てくれた高くんを見た友人は
「あの男の子、むっちゃかっこいいやん!ちょっと紹介してよ!」
と数人の女子に言われたほど。
しかし、高くんは、超マジメ。
寝込みを襲うなんてこともないやろう。
「sunnyちゃんが家に泊まってもいいよ」って言うてくれてるよ〜 と高くんに連絡したけど、
その後、まだ返事がない。
高くん、まじめなんで泊まらせてもらおうか、安宿にしようか悩んでるのかなー?
高くんがsunnyちゃんの家で泊まることになったら、高くんが始めてのお客さんになるらしい。
とりあえず、シリアはsunnyちゃんがいるから私も安心。
sunnyちゃんが快く引き受けてくれて感謝するばかり。
ほんと、ありがとう。
そして10月、数年前から計画していたことを実行に移した。
実家がある上海を出て中国を横断し、新疆からパキスタンに入り、中東(イスラム圏)を旅する。
3日ほど前のメールでは、まだイランにいるみたい。
イランのどの都市にいるのか書かれていなかった。
ほんとうは、イランから北に行きトルコに入ってシリア、レバノン、ヨルダンと
南下する計画だったみたい。
でも、普通の中国人はトルコへの個人観光ビザは取れないらしい。
第三国での長期滞在するビザを持っている人は取れるらしいが、
高くんの日本での滞在資格は11月頭に切れてしまっている。
タッチの差で高くんはトルコにいけなくなった。
以前、高くんにトルコの話をしたとき、「トルコに行きたいけど、中国人は難しいと思う」って言っていたことがあった。
その時、私は、「そんなことないよ〜 トルコやでー 大丈夫やって〜」と言っていたように思う。
ビザが必要な国があるけど、お金を払ってちょっとがんばればビザは簡単に取れる。
それが普通だと思っていた。
でも、世界には出身国によって、簡単に行き来できない国もあるんだと痛感した。
私は日本人ボケしてた・・・
そして、こないだ、「最終的にモロッコまで行きたいのですが、モロッコのビザを取るのに数ヶ月かかるって本当ですか?」と質問があった。
え!?モロッコにビザなんて必要やったっけー???
モロッコに行ったのはもうかれこれ10年以上前のことなので、ちょっと忘れていた。
旅行日記を見るとビザ代など書かれていない。
あれー?今はビザが必要になったんか!?
ビザが廃止になっても、必要になる国なんてそうめったとない。
調べてみると、やっぱりビザなど必要なかった。
ただし、日本人だから。
中国人はモロッコもビザが必要だった。
そういえば、私たち日本人は中国には2004年から15日以内の滞在ならビザは必要なくなった。
でも、中国人が日本に来るにはビザが必要で、
個人旅行者なら年収300万円以上ないといけないなど、条件が厳しい。
年収300万”円”でっせ!
300”元”ちゃいまっせ〜
そう考えると、日本政府もえらい厳しいですね・・・
話がそれてしまいましたが、イランからトルコに抜けれないということは、
隣のイラクを通過しなければヨルダン、シリアには行けない。
「イラクを横断します」
と高くん。
ひえーーーー!!
なんという命知らず!!
絶対アカンってーーーー
その高くんから3日前に連絡があった。
「やはりイラクを陸路で横断するのは無理なようです。
あきらめてレバノンに飛んでシリア、ヨルダンと南下します。」
あ〜 よかった〜
高くん、ヒヤヒヤさせんとってくれ〜
「イランは見所がいっぱいやから、もうちょっとイランを旅すれば?」と、私。
「お金がないので、イランでゆっくりしてられない」
旅に出ると、常に残りのお金が気になる。
ゆっくり旅したいけど、お金に余裕がないから、旅を急いでしまう。
国のよっても違うけど、一番お金がかかるのが宿代。
シリアに私の友達が住んでいる。
彼女(sunnyちゃん)の家に泊めさせてもらえれば・・・
それに、彼女はイスラム諸国をほとんど制覇していて、くわしい。
彼女と会えば、高くんの今後の旅の情報に役立つかも。
しかし、sunnyちゃんと高くんは全く面識がない。
sunnyちゃんは女性、高くんは男性。
いくら高くんが私の友達やからって、「ちょっと泊めたって〜」って言うものなんだか気が引ける。
日本にいてたら、私もそんなお願いをされても困るけど、海外なら大丈夫かな・・・???
ダメもとでシリアのダマスカスに住んでいるsunnyちゃんに高くんの写真付きで伺いをたてた。
「高くんってかっこよくないですか!?
いっぱい部屋はあるし、それぞれ鍵がかかるから大丈夫ですよ。」
と、嬉しい返事があった。
高くんは、写真写りもいいけど、実物もかっこいい。
私の講演に来てくれた高くんを見た友人は
「あの男の子、むっちゃかっこいいやん!ちょっと紹介してよ!」
と数人の女子に言われたほど。
しかし、高くんは、超マジメ。
寝込みを襲うなんてこともないやろう。
「sunnyちゃんが家に泊まってもいいよ」って言うてくれてるよ〜 と高くんに連絡したけど、
その後、まだ返事がない。
高くん、まじめなんで泊まらせてもらおうか、安宿にしようか悩んでるのかなー?
高くんがsunnyちゃんの家で泊まることになったら、高くんが始めてのお客さんになるらしい。
とりあえず、シリアはsunnyちゃんがいるから私も安心。
sunnyちゃんが快く引き受けてくれて感謝するばかり。
ほんと、ありがとう。
ハチャメチャなお葬式
義理のおばあちゃんが亡くなった。
おばあちゃんは90歳で亡くなる数日前まで、田舎で御近所さんに助けてもらいながら1人暮らしをしていた。
だからお葬式は、おばあちゃんが長年暮らしていた田舎の家の近所の公民館ですることになった。
私がおばあちゃんの家に駆けつけると、おばあちゃんの遺体は、白い布団で眠っていた。
亡くなる前、顎がはずれたかのように大開になっていた口はちゃんと閉じてもらっていて一安心。
納棺の時、プロのメイクを頼み忘れいた。
親戚のおばちゃんが
「そしたら、おばあちゃんの化粧品できれいにしたったらええねん」
みんなが「せやなー」と賛成。
おばあちゃんの化粧道具を探し見つかったものの、おばあちゃんは何十年も化粧をしてないから
化粧品は年代物。
義母がお婆ちゃんの古いファンデーションで塗って、紅もさした。
でも、義母のメイクがむっちゃてきとうでファンデーションにむらがあったり、
口から紅がむっちゃはみ出たり・・・
ファンデーション塗りたくって、顔が真っ白になってしまった。
親戚のおばちゃんが
「ちょっと真っ白になったなー 頬紅したほうがええで」
頬紅を探すが、おばあちゃんは頬紅などもっていなかった。
「頬紅ないんやったら、口紅を頬に塗っといたらいいねん」
ええっ??
私は耳を疑ったが、
義母は「そうかー そんなんでいいかなー?」
と、疑うことなく真っ赤な口紅を頬に塗った。
おばあちゃんはまるで「おてもやん」になってしまった!
「お母さん、何するねん〜!」ってみんなから攻められたり、
「それでいいわ、よくなった」って言う親戚の叔母ちゃんがいたり、
ブーイングと「これでええわ」と納得する親戚で、もうわけがわからない。
人によって美的感覚がここまでちがうのか・・・
私から見ると、おばあちゃん、あんな顔になって絶対怒ってると思うけどなー
納棺式が終わり、お通夜も無事終った。
近所の出席してくれた人が、棺の中のおばあちゃんを見て、みんなビックリしている。
何をビックリしてるんやろう〜?と私も棺の中のおばあちゃんを見ると。
お婆ちゃんの顔が、大量のドライアイスで水滴が付き
ファンデーションが浮いてきて、
化粧は浮いてさらに真っ白け。
口紅ははみ出して、頬は真っ赤なまん丸のチーク。
見るも無残、お化け以上に怖い顔になっていた!!
家族や親族は「お婆ちゃんの顔がえらいことになってる!」って言うものの、何もせず帰ってしまった。
私とA氏がお通夜の番をすることになっていた。
だから私とA氏が、みんなが帰っていなくなった夜中に2人で棺を開けて、
おばあちゃんの化粧をふき取ってきれいにしてあげた。
すると、口紅拭き取ってたら、おばあちゃんの口がだんだん開いてきてしまった!
「おばあちゃん、口閉じな!」と言うて、顎閉じさせた。
おばあちゃんはコロコロって亡くなり、みんな「よい死に方やったなー」っと
誰も悲しむことも泣く明るいお葬式だった。
田舎方式のお葬式は、行事が盛りだくさん。
お葬式が終ると、その夜に村の葬式の世話役2人が来て、「ケンケン」という儀式をするらしい。
「ケンケン」ってどんな儀式なんやろう〜?とジーっと観察していた。
すると、1人がお婆ちゃんの戒名を読み、横においてあった鐘を2回鳴らした。
そして深々と拝み、親族にも拝み、終った。
私たち家族は、まだこれから長い儀式があるものと思っていたので、全員きょとんとしたまま。
村で住んでいる親戚のおばちゃんに「もう終わり?」と聞くと、
「そうやで、昔は10人ほどきて1時間ほど儀式してたけど、
最近は省略されて「ケンケン」って鐘を鳴らして終わりになってん」
「『ケンケン』って鐘の音のこと?」
「そうやでー」
私には鐘を音は「ケンケン」ではなく、どう聞いても「カンカン」やねんけど・・・??
「じゃ、次は親族だけで「ケンケン」するでー」
と、親戚のおっちゃん。
すると、おっちゃんは鐘を鳴らしながら歌を歌いだした。
おっちゃんに続いて、全員歌う。
義母も義父も、田舎の葬式はさっぱりわからないので、親戚の指示どうりに必死。
私たちも親族の「ケンケン儀式」の歌にいつの間にか参加していたが、その歌がなかなか終らない。
こっそり聞いたら1時間以上かかると言うので、家も遠いということで、途中で退散させてもらった。
葬式は宗派によってちがうやろうけど、田舎に行くと土着文化がまだ残っていて、
葬式文化もなかなか面白い。
いやー ほんとにぎやかというか面白いお葬式で、おばあちゃんも「おてもやん」になったときは
怒ってたかもしれへんけど、おばあちゃんは自分の話題で笑われるのが大好きな人だったから、
きっと笑ってることでしょう。
ハチャメチャでにぎやかなお葬式でした。
おばあちゃんは90歳で亡くなる数日前まで、田舎で御近所さんに助けてもらいながら1人暮らしをしていた。
だからお葬式は、おばあちゃんが長年暮らしていた田舎の家の近所の公民館ですることになった。
私がおばあちゃんの家に駆けつけると、おばあちゃんの遺体は、白い布団で眠っていた。
亡くなる前、顎がはずれたかのように大開になっていた口はちゃんと閉じてもらっていて一安心。
納棺の時、プロのメイクを頼み忘れいた。
親戚のおばちゃんが
「そしたら、おばあちゃんの化粧品できれいにしたったらええねん」
みんなが「せやなー」と賛成。
おばあちゃんの化粧道具を探し見つかったものの、おばあちゃんは何十年も化粧をしてないから
化粧品は年代物。
義母がお婆ちゃんの古いファンデーションで塗って、紅もさした。
でも、義母のメイクがむっちゃてきとうでファンデーションにむらがあったり、
口から紅がむっちゃはみ出たり・・・
ファンデーション塗りたくって、顔が真っ白になってしまった。
親戚のおばちゃんが
「ちょっと真っ白になったなー 頬紅したほうがええで」
頬紅を探すが、おばあちゃんは頬紅などもっていなかった。
「頬紅ないんやったら、口紅を頬に塗っといたらいいねん」
ええっ??
私は耳を疑ったが、
義母は「そうかー そんなんでいいかなー?」
と、疑うことなく真っ赤な口紅を頬に塗った。
おばあちゃんはまるで「おてもやん」になってしまった!
「お母さん、何するねん〜!」ってみんなから攻められたり、
「それでいいわ、よくなった」って言う親戚の叔母ちゃんがいたり、
ブーイングと「これでええわ」と納得する親戚で、もうわけがわからない。
人によって美的感覚がここまでちがうのか・・・
私から見ると、おばあちゃん、あんな顔になって絶対怒ってると思うけどなー
納棺式が終わり、お通夜も無事終った。
近所の出席してくれた人が、棺の中のおばあちゃんを見て、みんなビックリしている。
何をビックリしてるんやろう〜?と私も棺の中のおばあちゃんを見ると。
お婆ちゃんの顔が、大量のドライアイスで水滴が付き
ファンデーションが浮いてきて、
化粧は浮いてさらに真っ白け。
口紅ははみ出して、頬は真っ赤なまん丸のチーク。
見るも無残、お化け以上に怖い顔になっていた!!
家族や親族は「お婆ちゃんの顔がえらいことになってる!」って言うものの、何もせず帰ってしまった。
私とA氏がお通夜の番をすることになっていた。
だから私とA氏が、みんなが帰っていなくなった夜中に2人で棺を開けて、
おばあちゃんの化粧をふき取ってきれいにしてあげた。
すると、口紅拭き取ってたら、おばあちゃんの口がだんだん開いてきてしまった!
「おばあちゃん、口閉じな!」と言うて、顎閉じさせた。
おばあちゃんはコロコロって亡くなり、みんな「よい死に方やったなー」っと
誰も悲しむことも泣く明るいお葬式だった。
田舎方式のお葬式は、行事が盛りだくさん。
お葬式が終ると、その夜に村の葬式の世話役2人が来て、「ケンケン」という儀式をするらしい。
「ケンケン」ってどんな儀式なんやろう〜?とジーっと観察していた。
すると、1人がお婆ちゃんの戒名を読み、横においてあった鐘を2回鳴らした。
そして深々と拝み、親族にも拝み、終った。
私たち家族は、まだこれから長い儀式があるものと思っていたので、全員きょとんとしたまま。
村で住んでいる親戚のおばちゃんに「もう終わり?」と聞くと、
「そうやで、昔は10人ほどきて1時間ほど儀式してたけど、
最近は省略されて「ケンケン」って鐘を鳴らして終わりになってん」
「『ケンケン』って鐘の音のこと?」
「そうやでー」
私には鐘を音は「ケンケン」ではなく、どう聞いても「カンカン」やねんけど・・・??
「じゃ、次は親族だけで「ケンケン」するでー」
と、親戚のおっちゃん。
すると、おっちゃんは鐘を鳴らしながら歌を歌いだした。
おっちゃんに続いて、全員歌う。
義母も義父も、田舎の葬式はさっぱりわからないので、親戚の指示どうりに必死。
私たちも親族の「ケンケン儀式」の歌にいつの間にか参加していたが、その歌がなかなか終らない。
こっそり聞いたら1時間以上かかると言うので、家も遠いということで、途中で退散させてもらった。
葬式は宗派によってちがうやろうけど、田舎に行くと土着文化がまだ残っていて、
葬式文化もなかなか面白い。
いやー ほんとにぎやかというか面白いお葬式で、おばあちゃんも「おてもやん」になったときは
怒ってたかもしれへんけど、おばあちゃんは自分の話題で笑われるのが大好きな人だったから、
きっと笑ってることでしょう。
ハチャメチャでにぎやかなお葬式でした。
人の死を通して自分の死を考える
ブログで公表しようかしまいか、ちょっと悩んだけど、アップすることにします。
先週、義理のおばあちゃんが90歳で亡くなった。
今回なくなったおばあちゃんは亡くなる少し前まで御近所さんに助けてもらいながら、
田舎で1人暮らししていた。
とは言うものの、今年に入ってから体力も落ち、1ヶ月おきに実家で暮らすようになっていた。
10月中旬頃から急に食べなくなりだした。
いつものように病院へ診察に行くと、先生から
「もう入院させた方がいいですねー」といわれた。
しかし、ベットの空き待ちで数日間実家で過ごしていた。
「もう食べなくなった」とは聞いていたけど、トイレは自分で行くと聞いていたから、
あまり深刻に受け止めなかった。
しかし、入院する数日前から、便をもらすようになってきていたらしい。
おばあちゃんはずっと昔から、ちょっとしたことでも大げさに言い、周囲からかまってほしい性格。
人を見ると、手首を見せ
「なんか出てきたんやー ほら、ここ見てみー 」
と言って注目を浴びるのがすき。
ちなみに、おばあちゃんが「何か出てきた」といつも騒いでいたのは骨。
ただおばあちゃんが痩せて、今まで肉に埋もれていた骨が浮いてきただけのもの。
「おばーちゃん、これは骨や」
「そーかー 骨かー」
3〜4年ほど前からこんな会話や同じことを何度も繰り返すようになっていた。
痴呆症の表れ。
おばあちゃんが1人で住んでいた家には芝生の庭、畑、竹やぶもあって、
85歳を過ぎた頃には自分で手入れができなくなり、3年ほど前から私は毎週末家に行き
お婆ちゃんの身の回りの世話や食料を買いに行ったり庭の手入れをしに行っていた。
今年に入って、おばあちゃんが実家で滞在することも増え、私がお婆ちゃんの家に行くのは
2カ月おき程度に減っていて、最後に世話をしたのが8月。
家の掃除、庭の草むしり、芝刈りなどして帰った。
おばあちゃんがだんだん弱っていってる姿を見てきたこともあって、私も心の準備をしていたので、
10月末に入院したと聞いたとき、さほど驚かなかった。
それより、入院して鼻から栄養剤をチューブで入れていると聞いて、
義父方のお婆ちゃんのように、意識がなくなっても胃に穴を開けチューブを挿入し、ただ息をしているだけという生きかたをさせられるのでは・・・
とよぎった。
今年2月に亡くなった義理のおばあちゃんが10年間ボケて、
最後には胃に穴を開け栄養をチューブで補給する
「胃ろう」を3年ほどしていたから。
私個人の考えは、そこまでして生きたくない。
私の親もそれはしないでくれと言われている。
しかし、義父の考えは違う。
1分1秒でも、意識がなくても生きていてほしいという考え。
それは自分の母だけではなく、義母のおばあちゃんに対しても同じことを言っていた。
(それはそれで、すばらしい考えだとも思う)
最近、末期医療に携わっている先生が書いた本を読んだ。
その本には、「人は自分の思うように死ねない」と書かれてあった。
「死が近づいている患者は意識モウロウで、自分の意思があっても伝えれず、
家族や親族が決断することになる」
人工呼吸器を付けられていれば、話すことなどできない。
ボケてしまうとなおさら言えない。
だから、生前意識がハッキリしているときに、家族には自分がしてほしい治療方針など
をしっかり伝えておかないといけないという。
私も昔、親の死に直面し、そのことを痛感した。
11/3にお婆ちゃんが入院したという病院に見舞いに行くと、鼻からチューブが通され栄養剤を入れていた。
もう目を開ける事さえできず、口は顎がはずれているのか!?
と思うほどおいっきり開き、おばあちゃんの唇や口の中はカラカラ。
口がカラカラすぎて口臭も酷い。
舌は乾燥しカチカチになっている。
口の中を少し潤わせてあげたい・・・
しかし、ベットの横には義父の書いたメモがあった。
「水分を与えると、水が気管に入ってしまうので、少しの水分も口に入れないように!」
いくらなんでもかわいそうすぎる・・・
この状態では、もう長くないと感じた私は、義父の忠告を無視し、ガーゼに水を含ませ
カラカラになっている唇や舌を拭いてあげた。
おばあちゃんは、喉には痰がからまり、いびきをかいている状態で息をしているだけになっていた。
10回呼びかけて反応があるのは1回程度。
その状態を見て、もうあと数日しか無理だろう・・・
それから約1週間後におばあちゃんは息を引き取った。
人工呼吸器も付けず、胃ろうもせず、おだやかな老死だった。
おばあちゃんは90歳だった。
大往生。
人は、必ずいつかは死を向かえる。
もしも、私がもう身動きできなくなり死が間際になり、口がカラカラになっていたら、
口の中に水分がほしい。
気管に入ってもいい。
それが原因で肺炎になって死亡してもいいから、口の中に水分がほしいです・・・・
そして、人工呼吸器や胃ろうは、付けてしまったら外す事ができないからしてほしくない。
一分一秒でも長く生きることよりも、
私は意識あるうちに人生を楽しみたい。
自分の死について考える人って案外少ないようですね。
元気なうちからそういう類の話はしてはいけないという人もいますね。
近頃、医療の進歩のおかげで、昔なら死んでいる病気でも薬や手術で治ったり。
病気になったとしても治るのが当たり前と錯覚を起こしてしまう。
人の死が身近ではなくなったように思う。
しかし、人は早かれ遅かれ必ず死を向かえる。
そして、自分も。。。
先週、義理のおばあちゃんが90歳で亡くなった。
今回なくなったおばあちゃんは亡くなる少し前まで御近所さんに助けてもらいながら、
田舎で1人暮らししていた。
とは言うものの、今年に入ってから体力も落ち、1ヶ月おきに実家で暮らすようになっていた。
10月中旬頃から急に食べなくなりだした。
いつものように病院へ診察に行くと、先生から
「もう入院させた方がいいですねー」といわれた。
しかし、ベットの空き待ちで数日間実家で過ごしていた。
「もう食べなくなった」とは聞いていたけど、トイレは自分で行くと聞いていたから、
あまり深刻に受け止めなかった。
しかし、入院する数日前から、便をもらすようになってきていたらしい。
おばあちゃんはずっと昔から、ちょっとしたことでも大げさに言い、周囲からかまってほしい性格。
人を見ると、手首を見せ
「なんか出てきたんやー ほら、ここ見てみー 」
と言って注目を浴びるのがすき。
ちなみに、おばあちゃんが「何か出てきた」といつも騒いでいたのは骨。
ただおばあちゃんが痩せて、今まで肉に埋もれていた骨が浮いてきただけのもの。
「おばーちゃん、これは骨や」
「そーかー 骨かー」
3〜4年ほど前からこんな会話や同じことを何度も繰り返すようになっていた。
痴呆症の表れ。
おばあちゃんが1人で住んでいた家には芝生の庭、畑、竹やぶもあって、
85歳を過ぎた頃には自分で手入れができなくなり、3年ほど前から私は毎週末家に行き
お婆ちゃんの身の回りの世話や食料を買いに行ったり庭の手入れをしに行っていた。
今年に入って、おばあちゃんが実家で滞在することも増え、私がお婆ちゃんの家に行くのは
2カ月おき程度に減っていて、最後に世話をしたのが8月。
家の掃除、庭の草むしり、芝刈りなどして帰った。
おばあちゃんがだんだん弱っていってる姿を見てきたこともあって、私も心の準備をしていたので、
10月末に入院したと聞いたとき、さほど驚かなかった。
それより、入院して鼻から栄養剤をチューブで入れていると聞いて、
義父方のお婆ちゃんのように、意識がなくなっても胃に穴を開けチューブを挿入し、ただ息をしているだけという生きかたをさせられるのでは・・・
とよぎった。
今年2月に亡くなった義理のおばあちゃんが10年間ボケて、
最後には胃に穴を開け栄養をチューブで補給する
「胃ろう」を3年ほどしていたから。
私個人の考えは、そこまでして生きたくない。
私の親もそれはしないでくれと言われている。
しかし、義父の考えは違う。
1分1秒でも、意識がなくても生きていてほしいという考え。
それは自分の母だけではなく、義母のおばあちゃんに対しても同じことを言っていた。
(それはそれで、すばらしい考えだとも思う)
最近、末期医療に携わっている先生が書いた本を読んだ。
その本には、「人は自分の思うように死ねない」と書かれてあった。
「死が近づいている患者は意識モウロウで、自分の意思があっても伝えれず、
家族や親族が決断することになる」
人工呼吸器を付けられていれば、話すことなどできない。
ボケてしまうとなおさら言えない。
だから、生前意識がハッキリしているときに、家族には自分がしてほしい治療方針など
をしっかり伝えておかないといけないという。
私も昔、親の死に直面し、そのことを痛感した。
11/3にお婆ちゃんが入院したという病院に見舞いに行くと、鼻からチューブが通され栄養剤を入れていた。
もう目を開ける事さえできず、口は顎がはずれているのか!?
と思うほどおいっきり開き、おばあちゃんの唇や口の中はカラカラ。
口がカラカラすぎて口臭も酷い。
舌は乾燥しカチカチになっている。
口の中を少し潤わせてあげたい・・・
しかし、ベットの横には義父の書いたメモがあった。
「水分を与えると、水が気管に入ってしまうので、少しの水分も口に入れないように!」
いくらなんでもかわいそうすぎる・・・
この状態では、もう長くないと感じた私は、義父の忠告を無視し、ガーゼに水を含ませ
カラカラになっている唇や舌を拭いてあげた。
おばあちゃんは、喉には痰がからまり、いびきをかいている状態で息をしているだけになっていた。
10回呼びかけて反応があるのは1回程度。
その状態を見て、もうあと数日しか無理だろう・・・
それから約1週間後におばあちゃんは息を引き取った。
人工呼吸器も付けず、胃ろうもせず、おだやかな老死だった。
おばあちゃんは90歳だった。
大往生。
人は、必ずいつかは死を向かえる。
もしも、私がもう身動きできなくなり死が間際になり、口がカラカラになっていたら、
口の中に水分がほしい。
気管に入ってもいい。
それが原因で肺炎になって死亡してもいいから、口の中に水分がほしいです・・・・
そして、人工呼吸器や胃ろうは、付けてしまったら外す事ができないからしてほしくない。
一分一秒でも長く生きることよりも、
私は意識あるうちに人生を楽しみたい。
自分の死について考える人って案外少ないようですね。
元気なうちからそういう類の話はしてはいけないという人もいますね。
近頃、医療の進歩のおかげで、昔なら死んでいる病気でも薬や手術で治ったり。
病気になったとしても治るのが当たり前と錯覚を起こしてしまう。
人の死が身近ではなくなったように思う。
しかし、人は早かれ遅かれ必ず死を向かえる。
そして、自分も。。。
イギリス建築で感じたこと
今、イランに滞在中の高くんが日本にいてたとき、彼は京都の建築研究会というのに入っていた。
この研究会は、京大出身の建築の先生が中心となって、月に一度古い建築を研究する会。
高くんと先生は、中国にいたときからの知り合いで、
彼は留学してきてすぐにこの研究会の一員として
参加していたらしい。
今年は中国の建築物がテーマで、今年初めにはトン族の建築を学んでいくという。
高くんは私がトン族の建築物に興味があることを知り、先生にお願いしてくれて
私は6月から特別に参加させてもらっている。
今年のテーマは中国と聞いていただけあって、6月はトン族の鼓楼や台湾の古い建築物の
研究発表などあり、なかなか興味深い物だった。
でも、7月からネタ切れになってきたのか、徐々に中国という枠を飛び出し範囲が広がっている。
8月には、私が7月に行って来た
インドネシアのスラウェシ島のタナトラジャの船形家屋(トンコナン)

アフリカ南部に住む民家も発表させてもらった。
ンデベレ族の民家

世界遺産のグレートジンバブエ(石で築き上げられている)

ジンバブエの昔の村

ジンバブエの古民家

11月は、日本の厳島神社、岩国錦帯橋の予定だったけど、発表者が急用ができ
広島に行けなかったらしく、急遽先生が以前行って来たイギリスの建築をスライドを通して
教えてくれた。
私はイギリスの建築って、これといってイメージがない。
イギリスに行った友人はいてるけど、写真を見せてもらっても、印象に残らないものばかりだった。
イギリスに行った友人の感想はというと、「ん〜食事はおいしくないけど、よかったよ」
もっと感想はないんかえっ!!っていつも思う。
イギリスに行った友人はほぼツアーで行っている。
たぶん、ツアーなどで行くから、これといった感想がないんかなー?
先生は、仕事でドイツに住んでいたこともあり、当時は週末になると車でアウトバーンを走らせ、
ヨーロッパ中を旅行していたという。
だからヨーロッパでの車の運転は慣れているらしい。
イギリスには何度も行っていて、いつも個人で飛行機のチケットを取り、現地の移動はレンタカー。
事前に行きたいエリアを調べ計画し、インターネットでB&B
(ベット&ブレックファーストという意味で、イギリス式民宿。カナダにも多い)を予約し、
気に入った景色のところで車を止め建築をじっくり眺めたり風景を楽しんでいるという。
先生が今回行ったイギリスは、広範囲にまたがっていてた。
建築もアールヌーボー様式から、田舎の古民家といったものまで紹介してくれた。
私は建築はド素人。
先生はアールヌーボーの有名な建築家の名前をスラスラ出てくるが、私にはさっぱりわからん〜
しかし、18世紀に現代とかわらない建築をするなんて、考えてみればすごいなー
今、大阪府庁が古いからWTCに移転するかどうかという議論になってるけど、
大阪府庁って1925年に作られてるんですね。
イギリスのアールヌーボー様式の建築などは、さらに百年近く前に建てられてるのに、
古いからといって取り壊しなどしていない。
日本って地震の国だから耐震というけど、古い寺院や京都の町家など100年など軽く過ぎている。
木造なのに、あの阪神大震災でもびくともしてない。
昔はコンクリートって半永久的な建物だっていわれてたけど、
今は寿命が50年って言いだしている!???
日本人はそんなことを言って、コンクリートの建築物でも”耐震”という名の下、
歴史ある建築物でも取り壊し、何でも新しい物にしたがる。
それに比べ、イギリス人の考えはまるで逆。
今も150年ほど前の建築物ではカフェが営業し、お客でにぎわっている。
イギリス(ヨーロッパの国々)では、古い建築物建築物だけでなく、古いものをとても大切にし、
代々使い続けている。
イギリス北部の写真をみせてくれた。
緑に囲まれた小川があり、そこには石でアーチ型に作らたかわいらしい橋がかけられてあって、
その先に古民家がある。
もうそれだけで絵になる。
周囲の芝生がそのまま石の橋の上にも続いている。
芝生の橋で橋も風景に溶け込んでいる。
そのほかにも同じような石のアーチ型の橋の写真があった。
その橋には路線バスが渡っていた。
「この橋は、今も住民の足となるバスも走っているです。
この橋の先に、近代的な橋の建築の話ももちあがったけど、
地元民が「この景色を大切にしたい」と反対があって今もこの石の橋を使っているんですねー」
その橋は、バスがやっと通れる幅しかない。
対向車が来ればどちらかが待たないといけない。
もし、これが日本だったら、地元住民は不便を嫌い、便利になりたい楽になりたい。
景色より今の生活の向上が大切だといって、新しい橋を付けてと願うでしょう。
私たち日本人は、何かに付けて便利さを求め、新しい物好き。
いつからこうなってしまったのでしょうね・・・
牧場の写真では、緑が広がる丘陵に石垣がどこまでも伸びている。
「この石垣は、400年前のものなんだよ。
この石垣も景色の一部になっているから壊さないんだ」
と、先生。
石垣でさえ、古い建築物とし、景色の一部で、景色そのものを大切にするんですね。
日本もそうあってほしい・・・
10月に広島地裁で景観に関する裁判が行われた。
広島県福山市の瀬戸内海に鞆の浦という景勝がある。
そこは万葉集でも詠まれ、最近では「崖の上のポニョ」の舞台になったことで有名。
しかし、港の一部を埋め立てしバイパスを通すという計画が動き出していた。
景観を残したいとする反対派は裁判を起こした。
地裁の判決は、
『埋め立て差し止め 「景観は国民財産」 事業見直し』
という判決が下された。
しかし、工事を推進派の市長は「工事を進める」と司法の結果を無視する発言。
おいおいどないなっとんや〜
あの様子じゃーおそらく今回の判決を不服とし広島高裁に訴訟するでしょうね・・・
ちなみに、渋滞緩和のためのバイパスと言っているらしいが、
鞆の浦は渋滞することなどなく、バイパスができたとしても駅まで5分しかかわらないという。
日本では便利さ、利益ばかりを求め、
「景観は財産」という考えの薄い人がまだまだ多いのでしょうね。
1990年代に入って京都市内では高層マンションが次々に建てられて、
市内からだと、ビルでさえぎられ周辺の山々が全く見えなくなった。
京都は高層ビルや近代的なデザインの建築は、景色とアンバランスのように私は思う。
私たちは、住みやすさ、快適さを求め、もう取り返しのつかないことをしてしまったと思う。
京都らしさの”美”が減っていっている今、とても寂しく思う。
この研究会は、京大出身の建築の先生が中心となって、月に一度古い建築を研究する会。
高くんと先生は、中国にいたときからの知り合いで、
彼は留学してきてすぐにこの研究会の一員として
参加していたらしい。
今年は中国の建築物がテーマで、今年初めにはトン族の建築を学んでいくという。
高くんは私がトン族の建築物に興味があることを知り、先生にお願いしてくれて
私は6月から特別に参加させてもらっている。
今年のテーマは中国と聞いていただけあって、6月はトン族の鼓楼や台湾の古い建築物の
研究発表などあり、なかなか興味深い物だった。
でも、7月からネタ切れになってきたのか、徐々に中国という枠を飛び出し範囲が広がっている。
8月には、私が7月に行って来た
インドネシアのスラウェシ島のタナトラジャの船形家屋(トンコナン)

アフリカ南部に住む民家も発表させてもらった。
ンデベレ族の民家

世界遺産のグレートジンバブエ(石で築き上げられている)

ジンバブエの昔の村

ジンバブエの古民家

11月は、日本の厳島神社、岩国錦帯橋の予定だったけど、発表者が急用ができ
広島に行けなかったらしく、急遽先生が以前行って来たイギリスの建築をスライドを通して
教えてくれた。
私はイギリスの建築って、これといってイメージがない。
イギリスに行った友人はいてるけど、写真を見せてもらっても、印象に残らないものばかりだった。
イギリスに行った友人の感想はというと、「ん〜食事はおいしくないけど、よかったよ」
もっと感想はないんかえっ!!っていつも思う。
イギリスに行った友人はほぼツアーで行っている。
たぶん、ツアーなどで行くから、これといった感想がないんかなー?
先生は、仕事でドイツに住んでいたこともあり、当時は週末になると車でアウトバーンを走らせ、
ヨーロッパ中を旅行していたという。
だからヨーロッパでの車の運転は慣れているらしい。
イギリスには何度も行っていて、いつも個人で飛行機のチケットを取り、現地の移動はレンタカー。
事前に行きたいエリアを調べ計画し、インターネットでB&B
(ベット&ブレックファーストという意味で、イギリス式民宿。カナダにも多い)を予約し、
気に入った景色のところで車を止め建築をじっくり眺めたり風景を楽しんでいるという。
先生が今回行ったイギリスは、広範囲にまたがっていてた。
建築もアールヌーボー様式から、田舎の古民家といったものまで紹介してくれた。
私は建築はド素人。
先生はアールヌーボーの有名な建築家の名前をスラスラ出てくるが、私にはさっぱりわからん〜
しかし、18世紀に現代とかわらない建築をするなんて、考えてみればすごいなー
今、大阪府庁が古いからWTCに移転するかどうかという議論になってるけど、
大阪府庁って1925年に作られてるんですね。
イギリスのアールヌーボー様式の建築などは、さらに百年近く前に建てられてるのに、
古いからといって取り壊しなどしていない。
日本って地震の国だから耐震というけど、古い寺院や京都の町家など100年など軽く過ぎている。
木造なのに、あの阪神大震災でもびくともしてない。
昔はコンクリートって半永久的な建物だっていわれてたけど、
今は寿命が50年って言いだしている!???
日本人はそんなことを言って、コンクリートの建築物でも”耐震”という名の下、
歴史ある建築物でも取り壊し、何でも新しい物にしたがる。
それに比べ、イギリス人の考えはまるで逆。
今も150年ほど前の建築物ではカフェが営業し、お客でにぎわっている。
イギリス(ヨーロッパの国々)では、古い建築物建築物だけでなく、古いものをとても大切にし、
代々使い続けている。
イギリス北部の写真をみせてくれた。
緑に囲まれた小川があり、そこには石でアーチ型に作らたかわいらしい橋がかけられてあって、
その先に古民家がある。
もうそれだけで絵になる。
周囲の芝生がそのまま石の橋の上にも続いている。
芝生の橋で橋も風景に溶け込んでいる。
そのほかにも同じような石のアーチ型の橋の写真があった。
その橋には路線バスが渡っていた。
「この橋は、今も住民の足となるバスも走っているです。
この橋の先に、近代的な橋の建築の話ももちあがったけど、
地元民が「この景色を大切にしたい」と反対があって今もこの石の橋を使っているんですねー」
その橋は、バスがやっと通れる幅しかない。
対向車が来ればどちらかが待たないといけない。
もし、これが日本だったら、地元住民は不便を嫌い、便利になりたい楽になりたい。
景色より今の生活の向上が大切だといって、新しい橋を付けてと願うでしょう。
私たち日本人は、何かに付けて便利さを求め、新しい物好き。
いつからこうなってしまったのでしょうね・・・
牧場の写真では、緑が広がる丘陵に石垣がどこまでも伸びている。
「この石垣は、400年前のものなんだよ。
この石垣も景色の一部になっているから壊さないんだ」
と、先生。
石垣でさえ、古い建築物とし、景色の一部で、景色そのものを大切にするんですね。
日本もそうあってほしい・・・
10月に広島地裁で景観に関する裁判が行われた。
広島県福山市の瀬戸内海に鞆の浦という景勝がある。
そこは万葉集でも詠まれ、最近では「崖の上のポニョ」の舞台になったことで有名。
しかし、港の一部を埋め立てしバイパスを通すという計画が動き出していた。
景観を残したいとする反対派は裁判を起こした。
地裁の判決は、
『埋め立て差し止め 「景観は国民財産」 事業見直し』
という判決が下された。
しかし、工事を推進派の市長は「工事を進める」と司法の結果を無視する発言。
おいおいどないなっとんや〜
あの様子じゃーおそらく今回の判決を不服とし広島高裁に訴訟するでしょうね・・・
ちなみに、渋滞緩和のためのバイパスと言っているらしいが、
鞆の浦は渋滞することなどなく、バイパスができたとしても駅まで5分しかかわらないという。
日本では便利さ、利益ばかりを求め、
「景観は財産」という考えの薄い人がまだまだ多いのでしょうね。
1990年代に入って京都市内では高層マンションが次々に建てられて、
市内からだと、ビルでさえぎられ周辺の山々が全く見えなくなった。
京都は高層ビルや近代的なデザインの建築は、景色とアンバランスのように私は思う。
私たちは、住みやすさ、快適さを求め、もう取り返しのつかないことをしてしまったと思う。
京都らしさの”美”が減っていっている今、とても寂しく思う。
アフガニスタン国境閉鎖
●追加記事、写真あり
京大大学院に留学していた中国人の高くんが、7月中旬に帰国した。
私がインドネシアを旅している期間中に帰国するということで、私の出発前日に最後に会った。
たまたまその日は祇園祭の宵々々山で、インドネシアに出発する前に祇園祭りを味わうことができた。

私がインドネシアを旅中、体調不良に見舞われ、帰国後もなかなか回復しなかった。
高くん帰国後どうしてるんやろう〜?と気になってたけど、私はそれどころじゃーなかった。
帰国して1ヶ月ほどだって、高くんにメールしてみた。
すると、返事はたった一行!
「今の僕は心も体もボロボロです・・・」
高くんどうしたんやーーーーー!?
もともと高くんは私に冷たい。
しかし、今回の高くんのメールからしてずいぶんヤバそう。
「おーい!大丈夫かー?」
とだけメールしといた。
しかしその後、全く反応なし・・・
ずいぶん経った10月中旬、不意にメールがあった。
しかし、今回もたった一行。
「かおりさんは『深夜特急』読んだことありますか?」
高くん、心が病んでしまって、とうとう本で逃避行か!?
それからは徐々にメールの返事も帰ってくるようになったが、症状はかなり重症・・・
心の病気になった原因は、
「家族の猛反対でこのままだと旅に出れないかもしれない」という。
高くんは、ずいぶん前から
「博士への道は進まず、いったん帰国して、10月から1年間ほど旅に出る」と、言っていた。
私が知る中国人は家族や親子関係の絆が強く、
私たち日本人より親の言うことに反発しないように思う。
だから私は、「親の言葉など無視して、今しか行けないから行け!」とは言わなかった。
どちらかというと、「就職しても旅はできるよ」となだめた。
日本にいるとき、「中国に帰国したら陸路でパキスタンに入ってアフガニスタンに行く。」
と言っていた。
「旅に出るのはいいけど、アフガンは危ないって!」
高くんはアフガンに異常なほど興味を持っていて、
何度も「あの国に今行くのは危険やって!」と言っても高くんは聞く耳を持たなかった。
彼は、イスラム諸国に興味があり、イスラム教に関する本をたくさん読んでいて、
何度もイスラム諸国に行ったことある私より、むっちゃ詳しかった。
そして数日後、連絡があった。
「列車のチケットを取ってきた。 あさってパキスタン国境に向けて出発します」
うひゃー!高くん、とうとう旅立つのね〜!!!
それでこそ高くん!!
私まで気が引き締まった。
その後プツリと連絡が途絶えた。
そして10日ほどして、連絡があった。
「標高4500mの峠を超えて、パキスタンに入りました」
しかし、数日前にイスラマバードで爆発事件があったばかり!
今、イスラマバードは危険と隣り合わせ。
そして次のメールでは
「今日の午後ペシャワルへ行きます。」
えーーーー!!
ペシャワル!?
ペシャワルはアフガニスタン国境付近の町。
アフガンに行く人たちはペシャワルでバスに乗りカイバル峠を越えてカブールを目指す。
高くん、本気でカブールに行く気かっ!!
それは絶対アカンって!!
さらに数日後、ペシャーワルから写真数枚付きのメールが届いた。


写真は数日前に爆発事件があった現場だった。
建物が木っ端微塵になっていて、爆弾を投下されたように街が破壊されていた。
死者は100人以上だとか。
※(前回書いた内容で、都市名、死亡者数が一部間違っていたようです。
すいません。
高くん本人から、「イスラマバードではなく、ペシャワールです」とメールがありました)
それにしても街が破壊されているような写真を目にするのって、
報道などでしかなかった。
親しい友人からのメールで報道カメラマンが撮ったような写真を見るなんて、
なんか、不思議な感じ・・・
そして、最後の文面にこんなことが書かれてあった。
数日後、「アフガン国境は今、閉鎖されていてアフガン入りできませんでした」と書かれてあった。
私は安堵した。
アフガン入りは諦め、次に目指すのはイラン。
陸路で入国を試みるらしいけど、イラン南部も治安が悪く誘拐事件が多発している。
そのメールを最後にもう1週間以上音沙汰がない。
無事ならいいねんけど・・・
おとといの夜、イランのヤズドからメールがあった。
無事、陸路で国境を渡り、イランの危険地域も脱出したみたいで一安心。
しかし、そのメールには、「中国人はトルコのビザが取得できないらしく、
イラクを横断しヨルダンに入るしかないらしい」と書かれてあった。
イラクを横断するってっーーー!?
また心配やん〜
私としてはイランは見所が多いねんから、イランでゆっくりしたらいいやん〜て思うけど、
これからヨルダン、シリアに行って、エジプトに入り、北アフリカを横断し、
モロッコを目指すという。
エジプトからリビアって行けるのかなー??
中国のパスポートだと日本人と違って、ビザ取得にものすごく大変みたい。
京大大学院に留学していた中国人の高くんが、7月中旬に帰国した。
私がインドネシアを旅している期間中に帰国するということで、私の出発前日に最後に会った。
たまたまその日は祇園祭の宵々々山で、インドネシアに出発する前に祇園祭りを味わうことができた。

私がインドネシアを旅中、体調不良に見舞われ、帰国後もなかなか回復しなかった。
高くん帰国後どうしてるんやろう〜?と気になってたけど、私はそれどころじゃーなかった。
帰国して1ヶ月ほどだって、高くんにメールしてみた。
すると、返事はたった一行!
「今の僕は心も体もボロボロです・・・」
高くんどうしたんやーーーーー!?
もともと高くんは私に冷たい。
しかし、今回の高くんのメールからしてずいぶんヤバそう。
「おーい!大丈夫かー?」
とだけメールしといた。
しかしその後、全く反応なし・・・
ずいぶん経った10月中旬、不意にメールがあった。
しかし、今回もたった一行。
「かおりさんは『深夜特急』読んだことありますか?」
高くん、心が病んでしまって、とうとう本で逃避行か!?
それからは徐々にメールの返事も帰ってくるようになったが、症状はかなり重症・・・
心の病気になった原因は、
「家族の猛反対でこのままだと旅に出れないかもしれない」という。
高くんは、ずいぶん前から
「博士への道は進まず、いったん帰国して、10月から1年間ほど旅に出る」と、言っていた。
私が知る中国人は家族や親子関係の絆が強く、
私たち日本人より親の言うことに反発しないように思う。
だから私は、「親の言葉など無視して、今しか行けないから行け!」とは言わなかった。
どちらかというと、「就職しても旅はできるよ」となだめた。
日本にいるとき、「中国に帰国したら陸路でパキスタンに入ってアフガニスタンに行く。」
と言っていた。
「旅に出るのはいいけど、アフガンは危ないって!」
高くんはアフガンに異常なほど興味を持っていて、
何度も「あの国に今行くのは危険やって!」と言っても高くんは聞く耳を持たなかった。
彼は、イスラム諸国に興味があり、イスラム教に関する本をたくさん読んでいて、
何度もイスラム諸国に行ったことある私より、むっちゃ詳しかった。
そして数日後、連絡があった。
「列車のチケットを取ってきた。 あさってパキスタン国境に向けて出発します」
うひゃー!高くん、とうとう旅立つのね〜!!!
それでこそ高くん!!
私まで気が引き締まった。
その後プツリと連絡が途絶えた。
そして10日ほどして、連絡があった。
「標高4500mの峠を超えて、パキスタンに入りました」
しかし、数日前にイスラマバードで爆発事件があったばかり!
今、イスラマバードは危険と隣り合わせ。
そして次のメールでは
「今日の午後ペシャワルへ行きます。」
えーーーー!!
ペシャワル!?
ペシャワルはアフガニスタン国境付近の町。
アフガンに行く人たちはペシャワルでバスに乗りカイバル峠を越えてカブールを目指す。
高くん、本気でカブールに行く気かっ!!
それは絶対アカンって!!
さらに数日後、ペシャーワルから写真数枚付きのメールが届いた。


写真は数日前に爆発事件があった現場だった。
建物が木っ端微塵になっていて、爆弾を投下されたように街が破壊されていた。
死者は100人以上だとか。
※(前回書いた内容で、都市名、死亡者数が一部間違っていたようです。
すいません。
高くん本人から、「イスラマバードではなく、ペシャワールです」とメールがありました)
それにしても街が破壊されているような写真を目にするのって、
報道などでしかなかった。
親しい友人からのメールで報道カメラマンが撮ったような写真を見るなんて、
なんか、不思議な感じ・・・
そして、最後の文面にこんなことが書かれてあった。
数日後、「アフガン国境は今、閉鎖されていてアフガン入りできませんでした」と書かれてあった。
私は安堵した。
アフガン入りは諦め、次に目指すのはイラン。
陸路で入国を試みるらしいけど、イラン南部も治安が悪く誘拐事件が多発している。
そのメールを最後にもう1週間以上音沙汰がない。
無事ならいいねんけど・・・
おとといの夜、イランのヤズドからメールがあった。
無事、陸路で国境を渡り、イランの危険地域も脱出したみたいで一安心。
しかし、そのメールには、「中国人はトルコのビザが取得できないらしく、
イラクを横断しヨルダンに入るしかないらしい」と書かれてあった。
イラクを横断するってっーーー!?
また心配やん〜
私としてはイランは見所が多いねんから、イランでゆっくりしたらいいやん〜て思うけど、
これからヨルダン、シリアに行って、エジプトに入り、北アフリカを横断し、
モロッコを目指すという。
エジプトからリビアって行けるのかなー??
中国のパスポートだと日本人と違って、ビザ取得にものすごく大変みたい。
頭蓋骨
先日、髪の毛を切りに行った。
今回挑戦した髪型は、今はやりの”ボブ”。
が!
しかし!!
私は全然似合ってない・・・
ここまで似合わないとは・・・
とほほ・・・
美容院に行き、ヘアーカタログを見せ説明した。
「こんな感じのボブにしてほしいねんけど・・・」
「ん〜・・・」
悩む店員。
なぜ悩む??
切る前から、私には似合わないと思ってるのか??
「お客さんの頭蓋骨では、このような感じになるのは難しいと思うんですよねー」
「ええっ!? 私の頭蓋骨って変なんですか!?」
「ボブをしているこのモデルさんは頭の形が横に出っ張ってるんですよ。
ヘアーモデルや芸能人は、このタイプの頭蓋骨が多いいんですよ。
でも、日本人の多くはお客さんと同じ頭蓋骨が卵型なんです。
だから、ヘアーカタログのモデルさんや芸能人のようにしてって言われても、
頭蓋骨によっては全く同じにはできなくて、できる髪形とできない髪形があるんです」
えぇっ??
髪質ではなく、ずっ、頭蓋骨の形でっか??
そういえば、ペルーのパコパンパ遺跡で発見された遺骨の頭蓋骨は、
小さい時におでこと後頭部を板で挟んで、横に平たい頭蓋骨にしていたって
発見した関教授が言うてたなー
それに、古代エジプト人は今のエジプト人と違って、黒人系だという。
それは頭蓋骨がアフリカ人系で後頭部が丸く出っ張ってて
特徴があるって何かで言うてたなー
頭蓋骨を見ると、どこ系の人種かってわかるんですねー
頭蓋骨っておもろいですねー
そういえば、7月にインドネシアのスラウェシ島に行った時、
岩山の謎の階段を登っていると、なにやら視線を感じた。
ふと、横を見ると、頭蓋骨が私をジーーーと見つめていた。

ひえっーーーー!!
さらにその先を登っていくと、頭蓋骨だらけ。


ひえっーーーっと、ビビリながらも、けっこうマジマジと観察してたんですわー
でも、あの時、もっと頭蓋骨をじっくり見とくんやったなー
ここまで骨が散乱してて、こんなに近くで見れるところって、そう簡単にはないっすよねー?
骨が散乱する墓地に1時間ほどいて、そのときは十分観察したつもりやったけど、
頭蓋骨の形の違いなどそこまで見比べたりしてなかったなー
なんなら、触ってみてもよかったかも・・・?
やっぱ私はがまだまだ甘いっすね・・・
でも、ここは、なんともいえない独特な異臭がして、どんよりとした空気に包まれ、
あまり長くいるところではないなーって思っちゃったんですよねー
今回挑戦した髪型は、今はやりの”ボブ”。
が!
しかし!!
私は全然似合ってない・・・
ここまで似合わないとは・・・
とほほ・・・
美容院に行き、ヘアーカタログを見せ説明した。
「こんな感じのボブにしてほしいねんけど・・・」
「ん〜・・・」
悩む店員。
なぜ悩む??
切る前から、私には似合わないと思ってるのか??
「お客さんの頭蓋骨では、このような感じになるのは難しいと思うんですよねー」
「ええっ!? 私の頭蓋骨って変なんですか!?」
「ボブをしているこのモデルさんは頭の形が横に出っ張ってるんですよ。
ヘアーモデルや芸能人は、このタイプの頭蓋骨が多いいんですよ。
でも、日本人の多くはお客さんと同じ頭蓋骨が卵型なんです。
だから、ヘアーカタログのモデルさんや芸能人のようにしてって言われても、
頭蓋骨によっては全く同じにはできなくて、できる髪形とできない髪形があるんです」
えぇっ??
髪質ではなく、ずっ、頭蓋骨の形でっか??
そういえば、ペルーのパコパンパ遺跡で発見された遺骨の頭蓋骨は、
小さい時におでこと後頭部を板で挟んで、横に平たい頭蓋骨にしていたって
発見した関教授が言うてたなー
それに、古代エジプト人は今のエジプト人と違って、黒人系だという。
それは頭蓋骨がアフリカ人系で後頭部が丸く出っ張ってて
特徴があるって何かで言うてたなー
頭蓋骨を見ると、どこ系の人種かってわかるんですねー
頭蓋骨っておもろいですねー
そういえば、7月にインドネシアのスラウェシ島に行った時、
岩山の謎の階段を登っていると、なにやら視線を感じた。
ふと、横を見ると、頭蓋骨が私をジーーーと見つめていた。

ひえっーーーー!!
さらにその先を登っていくと、頭蓋骨だらけ。


ひえっーーーっと、ビビリながらも、けっこうマジマジと観察してたんですわー
でも、あの時、もっと頭蓋骨をじっくり見とくんやったなー
ここまで骨が散乱してて、こんなに近くで見れるところって、そう簡単にはないっすよねー?
骨が散乱する墓地に1時間ほどいて、そのときは十分観察したつもりやったけど、
頭蓋骨の形の違いなどそこまで見比べたりしてなかったなー
なんなら、触ってみてもよかったかも・・・?
やっぱ私はがまだまだ甘いっすね・・・
でも、ここは、なんともいえない独特な異臭がして、どんよりとした空気に包まれ、
あまり長くいるところではないなーって思っちゃったんですよねー
ペルシャ料理「ラ・ペルセ」
先日、このブログでトルコ雑貨のサイトを紹介した2、3日後、注文があったという!!
私のサイトで見てくれた方かなー?
それはどうだかわからないみたいやけど、もしそうなら、注文をしてくださった方、
ありがとうございます!!
なんといっても、今回お買い上げくださった方は、彼らの始めてのお客さんやったらしいんですよー
全く関係のない私までむちゃくちゃ嬉しいです。
来年にはこないだ紹介したOさんこと名前を改め、”とる子さん”が通訳も兼ねて
一緒に商品の買い付けに行くそうです。
こらからどんどんと彼たちのサイト「トルコ雑貨のお店 アスパラソース」が発展したらいいのになぁ〜
そんな彼らとOさん改め”とる子さん”を紹介したときに行ったお店が『ラ・ペルシャ』
このお店のオーナーと以前開催していた「ペルシャ展」でひょんなことで知り合って、
「今度イラン料理のお店するからオープンしたら来て」と言われてた。
ずっと気になっていたので、Oさんこととる子さんと島根と広島のイケメン・メンズ2名と行くことになった。
大阪の心斎橋筋から一本入ったところにあるエルメスの店の奥に「ラ・ペルセ」はあった。

地下の階段を下りると、店はステージもあってけっこう広い。


ラ・ペルセはランチもしている。
むっちゃボリュームあるのに、安いんちゃうの〜!?

メイン料理、スープにサラダ、ライスだけじゃーないく、
パン食べ放題、ジュースも飲み放題!!
それなのに1人たったの980円!!
激安やん〜!!
そんな安いのに、料理はおいしい!!
各自の料理が運ばれると、もうテーブルに乗り切れない!!
4人テーブル席は決して狭くはない。
でも、料理が乗り切れないから、隣のテーブルを足してやっと料理が全部乗るというかんじ。
宣伝のつもりはないけど、ぜひ皆さんもラ・ペルセに行ってみて下さい!
ランチのボリュームには驚きますよ。
4人で別々のメイン料理を頼んだけど、どれもむっちゃおいしかったです。
おすすめっすよ〜
私のサイトで見てくれた方かなー?
それはどうだかわからないみたいやけど、もしそうなら、注文をしてくださった方、
ありがとうございます!!
なんといっても、今回お買い上げくださった方は、彼らの始めてのお客さんやったらしいんですよー
全く関係のない私までむちゃくちゃ嬉しいです。
来年にはこないだ紹介したOさんこと名前を改め、”とる子さん”が通訳も兼ねて
一緒に商品の買い付けに行くそうです。
こらからどんどんと彼たちのサイト「トルコ雑貨のお店 アスパラソース」が発展したらいいのになぁ〜
そんな彼らとOさん改め”とる子さん”を紹介したときに行ったお店が『ラ・ペルシャ』
このお店のオーナーと以前開催していた「ペルシャ展」でひょんなことで知り合って、
「今度イラン料理のお店するからオープンしたら来て」と言われてた。
ずっと気になっていたので、Oさんこととる子さんと島根と広島のイケメン・メンズ2名と行くことになった。
大阪の心斎橋筋から一本入ったところにあるエルメスの店の奥に「ラ・ペルセ」はあった。

地下の階段を下りると、店はステージもあってけっこう広い。


ラ・ペルセはランチもしている。
むっちゃボリュームあるのに、安いんちゃうの〜!?

メイン料理、スープにサラダ、ライスだけじゃーないく、
パン食べ放題、ジュースも飲み放題!!
それなのに1人たったの980円!!
激安やん〜!!
そんな安いのに、料理はおいしい!!
各自の料理が運ばれると、もうテーブルに乗り切れない!!
4人テーブル席は決して狭くはない。
でも、料理が乗り切れないから、隣のテーブルを足してやっと料理が全部乗るというかんじ。
宣伝のつもりはないけど、ぜひ皆さんもラ・ペルセに行ってみて下さい!
ランチのボリュームには驚きますよ。
4人で別々のメイン料理を頼んだけど、どれもむっちゃおいしかったです。
おすすめっすよ〜





