まだ8月だというのに、急に涼しくなりましたね。
一週間前までの猛暑が嘘みたい。

暑かった国の話しの続きを。

夏のイラン、ウズベキスタンを経験した後、私は次にドバイに飛んだ。

夏のイランは暑かったが、お金を多く払えばクーラー付きの部屋で泊れた。
お金を節約するため、クーラーが無いホテルで泊ったこともあったが・・・

しかし、ウズベキスタンはクーラー自体が無かった。
それに、高級ホテルの方が、壁が太陽で焼かれ、室内に熱気がこもって、サウナ状態だった…
1万円も払ってるのに、ホテルはオンボロでサウナのように暑く寝苦しく眠れず、すごく悔しかった・・・


ドバイの空港は、冷房がかかっていて涼しい!
電気がついている!
当たり前のように思うでしょうが、
電気がほとんどなかったウズベキスタンからドバイに行くと、近未来にワープしたような錯覚におちいった。
ウズベキスタンの空港は電気がほとんどついてなく薄暗かったが、ドバイの空港はキラキラと輝いていた。
まぁ~ ドバイの空港は、世界の空港の中でも、本当にきらびやかですけどね。


2000年の夏、イラン、ウズベキスタンの次は、ドバイで3泊することにしていた。

ドバイの夏も暑い。
46度以上の暑さで観光客が減る。
ドバイでは7.8月の真夏はオフシーズンになる。
それを打破するため、当時ドバイではキャンペーンを行っていて、一部の高級ホテルが半額以下で宿泊できた。

当時、ドバイは認知度が低かった。
ドバイに行くと決まったとき、友人たちに「ドバイに行く」と言っても、「ドバイ?どこ?何しに行くの?」と聞かれてばかりだった。
「ドバイはすごいねんで!」って言っても、全然理解してもらえなかった。


私は、通常の1/3で宿泊できるというメリディアン・ミナ・セヒーヤ・ホテルで宿泊することにした。
1泊7500円!
奇跡的にも偶然に、私と同じ日にドバイに行く計画をたていた友達と一緒に泊ることになった。
海外のホテル料金は、部屋の料金。
2人で泊れば半額の3750円!
3泊しても11,250円!

空港からホテルまでは、今までのようにリムジンバスで行こうかな?と考えていた。
ドバイの空港に降り立つと、ホテルからのお迎えの人がオシャレなボードを持って立っていた。
何気に見ていると、な、な、なんと、私の名前が書かれてあった!
こんな経験は始めてて、半信半疑に近づいた。
「Ms.KAORI?」
「Yes・・・」
「ようこそお待ちしてました」と私の荷物を持ってくれ、日本では見たことがない大きなベンツに荷物を積んだ。
メリディアン宿泊者の為のお迎えだった。
客は私1人。
私の為だけに、わざわざベンツでお迎えに来てくれるなんて~~
イラン、ウスベキスタンを旅してた時の状況とあまりにも違い、何が何だか意味がわからず、シンデレラになった気分だった。

私を乗せた巨大なベンツは、ホテル入口に付けてくれた。
ドアマンがドアを開けてくれ、ボーイが荷物を持ってくれる。
私の汚いバックパックを持ってもらうのは気が引ける。
ボーイのズボンが汚れてしまう~~

ホテルのロビーは、ピッカピカ!
天井の明りが床に映ってる!
ドバイ・メリディアン・ロビー

私以外は、上品な欧米人ばっか。
東洋人はいなかった。
私の格好は、ウズベキスタンでまともにシャワーを浴びれず、すごく汚かった。
ウズベキスタンでは、シャワーの蛇口をひねると大量の砂が混ざっていたり、シャワーがなくバケツに水を貯め、水を体に掛けていた。

フロントの女性は私がイラン、ウズベキシタンを旅しドバイに入ったことも理解していて労ってくれた。

当時、ドバイはインビテーションビザが必要だった。ドバイ入国三日前にFAXで発行される。
インビテーションビザをウズベキスタンのホテルにFaxしてもらわないといけず、予約時に事情を説明していた。
ウズベキスタンの4つ星ホテルの通信事情が悪てくFAXが届かず、何度もドバイに国際電話をしていた。
そんなこともあって、ねぎらってくれた。


フロントでは、イタリア製のオシャレな椅子に座って、チェックイン手続きをする。
冷えたトロピカルジュースをサービスしてくれた。

一か月近く冷たい飲み物がなかなか飲めなかった。
いや、たまに飲めたが、外気が暑すぎて意識もうろうと飲んでいた。

メリディアンホテルではホテル内も冷房が効いていて、頭もシャキットする。
久しぶりに気持良くジュースが飲めた。

+3000円UPでロイヤルルームに宿泊できることを教えてもらった。
2人で宿泊するから1人1500円!
友達はまだドバイに到着してないが、彼女もきっとOKするだろうと、ロイヤルルームに変更してもらった。

最上階のすぐ下の階。
最上階はロイヤルルーム専用のラウンジがある。
ロイヤルルーム宿泊者は、おしゃれで上品なラウンジを使用することができた。

部屋からはビーチとホテル専用のマリーナが一望できる。
ドバイ・メリディアン・ビーチ

部屋のベランダには、テーブルと椅子が置いてあった。
(部屋にベランダがあるのはロイヤルルームだけ)

ドバイの空港から、迎えの巨大なベンツ、ホテル内は冷房がかかり、外の暑さなど全く感じない。
ドバイは暑いって聞いてたけど、全然暑くないやん~
外気の暑さを全然感じない。

せっかくのロイヤルルームを堪能しなくては!
ベランダの椅子に座ろうと、窓を開けると、もあ~んとした強烈な湿気が襲ってきた!
一瞬でメガネが曇って視界が真っ白になった。

イランのバンダルアッバーの悪夢がよみがえった!

ホテル敷地内を散策しようと建物から出ると、瞬時にメガネが曇った。
カメラのレンズも曇ってしまいモタモタしてる間に、とんでもない暑さと、まとわりつくような湿気に襲われた。
昼のドバイは47度+不快な湿気。

温度計のメモリがぐんぐん上がっていく。
47度を見て、これ以上屋外に居たくない・・・気持がなえてしまう。

イランのバンダルアッバーもそうだったが、ペルシャ湾沿いの町は気温の暑さだけでなく、ものすごく不快な湿気に襲われ、さらに暑さを感じてしまう。

ドバイも暑かったが、建物内、移動の乗り物はクーラーがガンガンかかっている。
どこでもエアコンがきいていて、とても涼しく快適だった。
そのため、イランや冷房が無いウズベキスタンに比べたら、全然平気だった。

ドバイでは、屋外を歩くことがほとんどなかった。
移動はすべてタクシーだから。
路線バスもあったが、ドバイ市民は車で移動するため、利用者がいないからか本数が極端に少ない。
バスを待つより、移動はタクシーになる。

歩くときは、ショッピングモールなどの建物内だけ。
だから、暑さでヘタることはなかった。


日本から直接ドバイ入りした友人は、「暑い~」と嘆いていたが、
私はイラン、ウズベキスタンの後だったから、まるで天国のようだった。



イラン、ウズベキスタンで40度越えの暑い夏を経験したとき、
気温が40度を超えると空気が熱く息苦しくなり、何も考えられなくなった。
経験して思ったことは、人は40度を超えると思考回路がマヒしてしまう・・・と思った。


経済が発展してる国は冷房があり、建物内に入れば天国のように涼しいが、発展途上国や貧しい国は冷房など無い。
今後気温はさらに上昇していると言われている。

年々暑くなってきてるのに、地球誕生から今までで考えると、今は寒冷時期と言われている。
今後さらに暑くなると言われている。
恐ろしい~~
受け入れるのしかないのか・・・
あぁ・・・恐ろしい・・・

2000年の夏。
私は1ヵ月半かけて、イラン→ウズベキスタン→ドバイ→イエメンを旅した。

中東の暑い国ばかり。

イランの夏の暑さを紹介しましたが、他国ではどうでしょう?

イランの次に行ったウズベキスタンも毎日40度超えの暑い国。

ウズベキスタンは、1991年12月に旧ソ連の解体とともに独立。
独立して8年足らずの2000年のウズベキスタンは、電気事情があまりよくなかった。

空港でさえ冷房が無く、電気も点いていなく薄暗かった。

町の店、レストラン、ホテルでも冷房などなかった。

地上は暑く、人出が少ない。
みんなどこにいるんだろう??と、不思議だった。

ウズベキスタンの首都タシュケントでは、地下が発達してて、みんな暑さを避け地下道を歩いていた。
地下道といっても、日本みたいに冷房は無い。
しかし、湿気が無いので、地下に入ると地上より温度が低く涼しい。


夏のウズベキスタンは、日差しが強烈で毎日40度越え。

どこにも冷房はないが、乾燥してるため、日陰に入るとちょっと涼しい。
無風の建物内より、風が通る木陰が涼しい。

男性はこのように木陰があるカフェ(チャイハネ)で涼んでいた。
img270_2015082012153735b.jpg

移動のバス、タクシーも冷房が無い。
窓を全開に開けるだけ。
昼間は、暑い風が入ってきて、うだるほど暑い。

バスはオンボロ。
ウズベキスタン 著距離バス

車内はもっとオンボロ
ウスベキスタン 長距離バス車内
車内は満席。
通路には乗客の荷物が高く積まれ、身動きできない。

このバスで18時間半かけて移動した。
一晩過ごさないといけなくて、シートは壊れてリクライニングにできず辛かった・・・・



当時、ウズベキスタンへ行くには、ビザが必要。(今も必要)
今は簡単に取れるが、2000年当時一般の個人旅行者は、現地の100ドル以上するホテルを3日間以上予約して、ホテルからの紹介状が必要だった。
物価が安いウズベキスタンで100$以上のホテルとなると4つ星クラスになる。

ウズベキスタンでは高級ホテルに泊れると期待していたが、実際予約していたホテルに到着すると、4つ星ホテルだというのに、フロントはガラ~ンとしてて、電気もついてなく薄暗い。
正面玄関にも誰もいない。

フロントカウンターにあったベルを鳴らすと老婆が出てきた。
旅館か!?

エレベーターはオンボロで、今にも止まりそう・・・
エレベーター内は、めちゃめちゃ暑い。

4つ星ホテルだし部屋にはクーラーがあるだろうと期待していたが、期待は外れだった・・・
1万円以上も払ってるのに、クーラーがついてないなんて!

地下は涼しいが、高層ホテルは太陽が当たり壁が焼け、室内は暑くてたまらない!
窓を開けても風が入って来ない。
風を通すためドアを開けたいが、防犯上危険。

ちょっと余談だが、
水の出が悪いシャワーを浴びていると、壁の大きな穴から巨大なゴキブリが出没した!
ホテルのシャワールームの、排水溝でもない場所の壁に大きな穴があることがおかしい!
1万円以上もするのに、10ドルの安宿レベルのクオリティだった・・・

夜になると、風も止まり、部屋は蒸し暑く汗だく・・・
1万円以上も払ってるのに、こんな寝苦しい夜を過ごさないといけないなんて・・・

ウズベキスタン入国した時から、荷物が紛失し(飛行機に積まれず、イランの空港で置き去りになっていた)
紛失した荷物の中にメガネを入れていたため、何も見えない・・・
看板や標識が見えず、近くまで見に行かなくてはいけず、体力消耗しヘトヘトだった。
期待していた高級ホテルは、今までにないほどオンボロ。。。
踏んだり蹴ったりで、精神的に参ってしまった・・・


残りの2泊1泊100$以上する4つ星ホテルも、クーラーなどなかった・・・

ビザ取得の為、日本から3泊分を予約した1万円以上するホテル以外の宿泊は現地で探した。
どのホテルも1泊20$以下。
同じくクーラーなどないが、高級ホテルより不思議と寝苦しくなかった。

昔ながらのウズベキスタンの住居を改装したホテルは、壁が分厚く室内がひんやりしていたり、天井が高くファンがあった。
ファンがあるだけでも生き帰る。
高級ホテルよりよほど良かった。

2000年当時、クーラーがあった場所は、5つ星ホテルだけだった。

ウスベキスタンも暑かったが湿気が無い分、イラン南部に比べたら全然耐えられる。
それに気温も50度を超えることはなかった。

先日、イエメンで知り合ったかづをくんから電話があった。
「出張で東京に行くことになったんですが、21日空いてますか?」
「マジ!? 空いてるし、その日は空けるーー!」

イエメンに行ったのは2000年8月。
帰国後かづをくんとは、数回会っている。
イエメンではもう1人、ジローちゃんという男性と3人で1週間行動を共にしていた。

旅行会社を見つけ情報収集していた時、2人と出会った。
彼らもイエメンで知り合い、車をチャーターし、明日からツアーに出るという。
「私も一緒に行きたい」
「いいですよ。その方がチャーター代の負担も安くなるし」
その場で話しは成立し、翌朝から3人+ドライバーと5日間共にした。

絨毯が敷かれた部屋にマットがいくつかあり、好きなマットで寝るイエメン式ドミトリーのホテルや、普通のホテルでトリプル部屋で3人寝どまりしていた。

偶然にも、ジローちゃんとかづを君は同い年。
出発日、帰国日も全く同じ。
飛行機も同じだった。
しかし、中身は全然違う。
というか、ジローちゃんが異質すぎるほど、強烈なキャラ。
私も旅先でいろんな人と会ったけど、ジローちゃんは1.2位を争うほど超ポジティブでトークがおもろい。
笑わない日はなかった。
かづを君と私は、彼のトークに飲み込まれ、日本人離れしてる彼の考え方や行動全てに笑わしてもらっていた。

帰国して1年くらいして、ジローちゃんは転勤でヨーロッパに赴任した。
イエメンでも「俺は海外で仕事する」と言っていた。
有言実行とはこのことか。
skypeもない時代、ヨーロッパから電話をくれたことがあった。
「俺がヨーロッパにいる間、家に好きなだけ泊っていいから、遊びに来るといいよ。
隣国にすぐ行けるよ」

彼は4年ヨーロッパに赴任していたが、私は行くチャンスがなかった・・・

「帰国したと」一斉メールが届いたが、彼がパワフル過ぎて、私には雲の上のような遠い存在に感じ、何度か東京に行ってたが彼には連絡できなかった。

去年、私が東京に引っ越し、ダメもとでジローちゃんにも連絡してみた。
私のこと、覚えてるかな・・・?
すると、すぐ「おー!かおりどん、元気にしてた? 会おうよ!」と返事があった。

そして、今回13年ぶりにイエメンと同じように3人で会った。
3人全然変わってない。
話題も3人が好きな中東諸国のことや、「こないだは〇〇行ってきた」「今度は〇〇に行こうと思ってる」とか、13年前と全く変わらない。
そりゃー13年もたってるねんから、若い時のピチピチした肌ではなくなったけど、中身は全然変わってない。
3人それぞれ結婚し家庭を持ったにも関わらず、相変わらず1人旅は続けてるし趣味も継続してる。
家庭を持って子供もできれば、自分の趣味が継続できなるなる人がほとんどだと思う。

「変わらない」って簡単なようで、ほんとうはすごく難しいのかも。



 
今、中国(北京)の大気汚染が問題になってますね。

2001年12月、初めて北京に行ったとき、空が黄色く黄砂のひどさに驚いた。

当時は、日本でも黄砂が酷くなる3月4月の北京は、空だけでなくで空気が目に見えて黄色いと言われていた。
酷い日は砂嵐状態になる。
だから黄砂が酷い3.4月は北京に行くのは避けた方がいいと言われていた。

当時も内陸の工場から出る有害物質が黄砂とともに運ばれてきていると言われていたが、今ほど酷くなかった。

今の北京の状態は、黄砂のように大気が黄色ではなく、空がグレーでマスクが黒くなっている。
北京の大気汚染のひどさを感じてしまう・・・

中国の大気汚染は、直接日本に影響があるから、ニュースで取り上げられてるけど、中国以上に酷い国は他にもある。


インドのデリーは、北京以上に大気汚染が酷いとか・・・

私が体験して一番酷かったのは、イランの首都テヘラン。

テヘランが大気汚染が酷いのは一般的に知られてない。
(日本にいるとイランの情報はほとんど入ってこないしね)

私がイランに行ったのは2000年。
イランはインフラが充実してて、テヘランでは車も多く走っていた。

町の中心は、常に大渋滞。
車種は古く、車のマフラーからは真っ黒な排ガスが大量に出る。
そんな車やバスばかり。
テヘランの町中を数時間歩くと鼻の穴が真っ黒になる。


テヘランの地形は盆地ということもあり、空気が流れず排ガスがたまってしまう。

ホテルのスタッフに、テヘランの空気が汚いことを嘆くと、
「テヘランの空気は悪い。
北の高台に行くと空気はきれいだよ」
と教えてもらい、
知り合いのバイクをチャーターし、1日きれいな空気を求めて北にある高台の高級住宅地の公園でゆっくり過ごした。
夕方前、公園から帰る時、バイクのドライバーにテヘランの街を一望できる場所に連れて行ってもらったが、盆地のテヘランの町は、グレーの大気に包まれていて、街が全く見えなかった。

夕方のテヘランはさらに大渋滞し、バイクでも動けない状態になった。
排ガスで息ができない・・・
目が痛い・・・

あまりの目の痛さに、目を洗いたいとお願いし、食堂で休憩することにした。

バイクを降りると、ドライバーは私の顔を見るなり「顔を洗っておいで」と言う。

意味が全く分からない。

トイレで自分の顔を見て、びっくり!!!

顔が墨を塗ったように真っ黒になっていた。

排ガスで顔がここまで真っ黒になるなんて・・・

しかも、私は1時間ほどしかバイクに乗ってないのに・・・

ドライバーを掴んでいた両手も真っ黒。

宿に戻って服を洗ったら、水が真っ黒になった・・・


中国の大気汚染も酷いが、2000年のテヘランの大気汚染はあり得ないほど酷かった・・・


今のテヘランはどうなってるのかな・・・?
排ガス規制をし、少しでもきれいな空気になってるのかな・・・?
それとも車が増え、さらに空気が汚れてるのだろうか・・・?

6/25の夕方、
天六にあるネパール料理『カンティプール』に行ってきた。

先日、9月にウズベキスタンに行くこちにしたチエちゃんから
「かおりさんウズベキスタンに行ったことありましたよね?
情報教えてもらっていいですか?」と連絡があった。

私は、ウズベキスタンへは11年前に行った。

当時は、物価がめちゃくちゃ安かったけど、今はそんなにいうほど物価は安くないとか。
私の情報は古い。

GWにウズベキスタンに行ってきたマイちゃんがいる。
チエちゃんにマイちゃんを紹介した。

私も最新ウズベキスタン情報や、マイちゃんの旅の話しを聞きたい。
3人で会ってウズベキスタンの写真を見せてもらいながら、話しを聞かせてもらうことになった。

まいちゃん、1人旅をするが、これがめっちゃ方向音痴。

会うお店を伝えると、
駅から超近くても
「行けるかなぁ~・・・」といつも不安げ。
だからいつも駅で待ち合わせをする。

今回のネパール料理店も駅から近いが、
チエちゃんと駅で待ち合わせをし、無事到着。

そういえば、アフリカを一緒に旅したゆーすけも方向音痴。
海外旅行は、言葉が通じないことを心配する人がいるけど、
超方向音痴な人でも、行ったことが無い外国の町に降りたち
1人でもなんとか旅をしている。
1人旅は、「行きたい!」という気持ちさえあれば誰でもできる。



マイちゃん、超方向音痴だでなく、物をよくなくすんだとか。

色白のマイちゃん、写真をみているとウズベキスタンでは帽子も日傘もしていない。

「マイちゃん帽子は?」
「ちゃんと持って行って、難波まで帽子かぶってたんですが、
関空到着したときには帽子が無くなってたんですよー」

出発前からなくすか~

と言いながら、私も旅中によぉ~物を失くす。


マイちゃんのウズベキスタン写真、旅人とは思えないかわいい服装。
髪の毛はカチューシャをしたり、日によっては赤いかわいいお花をつけてリゾート風。

「この髪の毛をとめてるお花、かわいいなー」
「これねー この後どっかで落としたみたいで、気が付いたらなかったんですよー」

「えーーー!!
これも失くしたん~!?」

「旅中に家の鍵を落としたみたいで、
帰国したら家の鍵が無くて、家に入れなかったんですよー」

「で、どうしたん?」
「不動産屋に電話して、合鍵をもらいに行ったんですぅ~」
「不動産屋が営業してる時間でよかったなー
夜の帰国なら、家に入れへんかったんちゃうのー?」
「そうなんです~」

私も、旅先で帽子をしょっちゅう失くしてしまって、
今の帽子で何代目だろうか・・・
帽子だけじゃーなく、ボールペンや鉛筆、消しゴム、ハンカチ、
日焼け止め用の手袋なんてしょっちゅう失くす。
だから、日差しの強い国に行く時は、予備の手袋も持って行っている。
だって、現地では日焼け止め用の手袋なんて売ってないしね~
時には、宿に干していた洗濯物一式を忘れて違う街へ移動してから気付くことも・・・
その度にいつもスーパーに買いに行くことになる・・・
スーパーが無い町や、スーパーで手に入らない物を失くした時には、
ほんと落ち込む。

私を知らない人は、私は旅慣れしていて旅のエキスパートだと思っている人も中にはいるかもしれない。
でも、実際は、全然ダメダメで、旅先で出会った人に、
「そんなんでよく1人旅してるねー」と呆れられている。

マイちゃんの話しを聞いていると、
「あー私だけじゃーなかったんや~」と安心した。

方向音痴で物忘れがひどいマイちゃんといい、
しょっちゅう物を失くしたり、落としてくる私といい、
こんな者でも1人旅はできるんですわー



プロフィール

かおり

Author:かおり
旅が大好きで、気がつけば50数カ国旅をしています。2006年念願だった旅行記を出版。
多くの人に旅の魅力やイスラムの国々の良さを知ってもらおうと、書著「やっぱり旅はやめられない イスラム編」を書きました。
2008年に第2弾となる「中国編」を出版。

最寄の書店での注文、もしくは上の“おすすめ商品!”の「やっぱり旅はやめられない」をクリックしてみてね!

プロフィール写真は、私本人ですが実物はまるで違います…あしからず。

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日記タイトル一覧
  • 旅先の出来事
2015年08月25日 (火)
ドバイの夏
2015年08月20日 (木)
夏のウズベキスタン
2013年03月27日 (水)
13年ぶりの再会
2013年02月12日 (火)
大気汚染
2011年06月26日 (日)
1人旅。だけど方向音痴
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by AlphaWolfy
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