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5時間遅れの出発になり、バンコクからヤンゴン行きの便がもう乗れなくなった。
でも、大丈夫。
バンコクからヤンゴン行きの便も同じタイ航空だったので、ちゃんと手配をしてもらえる。

バンコクに到着してすぐ
ヤンゴン行きのプラカードを持ったスタッフがいた。

1時間後に出発するヤンゴン行きの飛行機に乗れるらしい。
ひたすら通路を移動

バンコクの空港

6.20 ヤンゴン行き

6.20 (ヤンゴン行きの飛行機)

スポンジケーキがしっとりしてて、めっちゃおいしかった!!
「もう1つ頂戴~」と言いたいほどおいしかった
6.20 (ヤンゴン行き機内食)

今まで明るくふるまっていたご両親だったが、
ヤンゴン着陸前になると2人ともうつむき、飛行機が着陸したときには泣いていた…

私もこんな形でミャンマーに来たくなかった…

最初メディアでちーちゃんの写真が出た。
今まで見たことがない写真。
すごく不安そうな顔をしていた。
普段のちーちゃんの顔ではないみたい。

友達たちと「あの写真はいったい何の時の写真なんだろう?」と言っていた。
ミャンマーに行ったことがある中国人の友達が
「あれはヤンゴンの空港のイミグレです」

ヤンゴンの空港に降り立った時、彼の言葉を思い出した。

クリーム色の大理石。
床の輝き。

あの写真はここだったんだ…

6.20 (ヤンゴン空港)

ちーちゃんは半年前、どんな気持ちでここに降り立ったんだろう…

あの写真を見る限り、きっとすごく不安だったんだろうな…
ミャンマーでの話、、、、
何を書けばいいのか分からない・・・
書ける範囲で、書いていきます。



6/19。
この日は午後から雨が降ってきた。
台風が接近しているらしい。

私たちの出発時間は、深夜24:20
ちょうどそのころ台風が関東に接近するようだ。
大丈夫だろうか…

両親との待合せは、9時に羽田空港だが、
台風で新幹線が停まる前に両親には東京に出てきてもらうようお願いした。

両親は夕方には空港に着いていた。

私は9時前に着くように家を出る。
家を出るころには、暴風雨圏内に入っていたようで、家を出た瞬間全身ずぶぬれになってしまった…
とんでもない暴風雨。。。
ちーちゃん関係で動く時は、毎回台風並みの暴風雨にあい、ずぶ濡れになる。
今回もまたか…
ちーちゃんは何を訴えているのだろう…

空港でご両親、そして今回一緒に行ってくれるミャンマーでちーちゃんと最後に会った日本人男性のOさんと会う。
4人で会うのは3/23以来。

ご両親とはどういう顔で会えばいいのか戸惑ったが、普段どうりにこやかに会うことを心がけた。
Oさんもきっと同じ思いだったのか、終始ご両親に話しかけ、にこやかに話しかけてくれていた。
若いのにすごいと思う。
ほぼ初対面に近い4人だが、おかげで和やかな雰囲気だった。

私とご両親はタイ航空。
Oさんは格安航空のエアアジア。
(ちなみにミャンマー往復4万円!!)

私たちはゲートが離れていて、端っこと端っこ。
Oさんは私たちより30分早い出発。

Oさんのゲートまでお見送りし「じゃ、明日の夜、ヤンゴンのホテルでお会いしましょう」と別れる。

私たちはタイ航空の出発ゲートで、搭乗手続きを待っていた。

出発時間になっても、搭乗手続きが行われない。

テレビでは、台風接近のニュースをしている。
「なんか、外は大荒れのようですねー」
空港内はとても静かで、外の嵐は感じられない。
ご両親は、嵐になる前に東京に到着し空港にいるから、さらにピンとこない様子。

少しすると「台風の影響で飛行機が遅れます」というアナウンスが流れた。
離れたゲートにいるOさんに「私たちの飛行機、遅れるみたい」とメールする。
「それは大変ですねー 僕もまだ搭乗していませんが、まだ何も案内がないですねー」

また少しすると
「台風で羽田に着陸できないため、TG○便は関西国際空港に行きました。」とアナウンスが流れた。
えー!?
関空に行ってもうたって~!?

今から関空に行ってしまったら戻ってきたとしても、私ら乗るのに2,3時間かかるやん~
わっちゃー もう長期戦やなー
そのアナウンスを聞いて、両親は寝た。

近くに座っていた人が、どこからかジュースとお菓子を持って戻ってきた。
聞くと「あっちの方でもらえるわよ」と教えてくれ、私ももらいに行く。

羽田 臨時軽食

Oさんに私たちの状況を知らせる。
Oさんのところも、いっこうに搭乗手続きが始まらないが、何も案内がないらしい。

今回のミャンマー行きは、私1人ではなく、ちーちゃんの友達の思いも込めて行くことを心がけていた。
だから、みんなも私のミャンマー行きを気にかけていてくれていた。

出発前には、たくさんの人から「私たちの分までお願いします」とメールやメッセージをもらっていた。

そんな皆の思いを背負って、代表で行ってるのに、
出発が遅れ、いつ飛びたてるかわからない状態・・・
携帯で連絡がつく人には、「台風で飛行機が関空に行ってしまったー いつ出発できるかは未定」とメールを送った。
平日の夜中だったこともあり、返事があったのは一部の人だったが、KAZ君が「Cさんが心配してるよ」と教えてくれた。
KAZ君には、随時状況をメールで知らせ、KAZ君がちーちゃんの仲間のネットのグループに今の状況を伝えてくれた。

長期戦になり、いつ飛びだてるかわからない。
仮眠をとった方がいいのだが、私が眠ってしまって、その間に何か状況が変化していてはいけない。
今回は、ご両親がちゃんとミャンマーに連れて行くことが私の役目。
だから寝ていてはダメだ!

(2011年4月、貴州省に行く時、北京でトランジットがあった。
私は搭乗手続き15分前にゲートの椅子で深い眠りに陥り、飛行機が飛びだって北京の空港に取り残された経験がある。
今回もそんな事態になってはとんでもない!
だから眠りたくても眠るわけにはいかなかった。)

深夜2時半「TG○便の皆様、軽食の準備ができました」とアナウンスが流れた。
すると、横になって眠っていたお母さんがムクッと起きだした。
「お母さんどうしたんですか!?」
「軽食が出るってきいたもんで」
すかさず、私がお母さんの分の軽食をとりに行く。

軽食は中華ちまきとおにぎり。

Oさんに「こっちは軽食が出たけど、そっちはどう?」
「こっちは全くなにもないですねー」
「じゃ、こっちに食べにおいでー」
さっき「じゃヤンゴンでお会いしましょう」と別れたのに、また空港内で再会。
Oさんとお母さんと3人で談笑しながら中華ちまきを食べていた。

Oさんが自分のゲートに戻り少しすると、
「僕の飛行機は、今まで上空を旋回していたようですが、燃料切れで関空に行ってしまったようです」
えー!?
今から関空に行ってしまったって~!?
いったいいつになったら飛びたてるねん~


私も少しお腹がいっぱいになったし、もう夜中の3時半。
睡魔が襲ってきた…
まだまだ飛び立つには時間がかかりそうだから、横になって少し仮眠をとる。

少しすると「今関空を飛び立ち、こちらに向かってきています。」とアナウンスが流れた。
羽田に到着しても、乗客を降ろし、機内清掃にはいるから、搭乗手続きまでまだまだ時間がある。
また仮眠をとっていた。

その時Oさんから「僕の飛行機が到着したようで、今から登場します。明日ヤンゴンで」とメールが入った。
あら、彼の方が早かったのね~

彼が飛び立った1時間後、搭乗手続きの案内が流れた。
もう外は明るくなっていた・・・

私たちが登場したのは5時半。
5時間遅れの出発になってしまった・・・


ちーちゃん関係で動く時は、必ず暴風雨になり、私たちを困らせる。
その度に、心の中でちーちゃんに語りかける。
ちーちゃんは、何を訴えてるんやろう。。。







昨日(7/5)の朝9時前に成田に到着しました。

今回バンコクでアロマや石鹸をいっぱい買って帰ろうと思っていた。
スーパーに行くと、ココナツミルクが激安!
思わず500ml×5パックを購入。
液体を買いすぎて、出発当時8kg弱だった荷物が20kgにもなってしまった。


最終日に荷物を詰めると全然入らない…
背中には液体を入れた大きなバックパック、
前には小さなリュック、両手にも荷物を持ち、全身荷物だらけで帰ってきた。

大阪の家では、関空からリムジンバスに乗って、降りて徒歩5分ほどで帰宅できた。
そんな感覚でいっぱい買い物(1万円弱)してしまった。
成田の遠さを甘く考えていた…
成田から今住んでいる我が家付近に行くリムジンバスは無い。
電車を乗り継ぎながら帰宅しないといけない。

安く帰ろうとしたら、めっちゃ乗り換えないといけない。
荷物の多さ、重さにギブアップ。
少し割高だが、乗り換え1回だけの電車に乗ることにした。

今回、初めて海外に携帯を持っていた。
出発前日、携帯屋に行き、私の携帯を海外でも受信できる設定にしてもらった。
(ミャンマーは日本の携帯は使えないがバンコクで必要だったから)
が! バンコクでもずっと圏外だった…
持って行った意味がなかった…

成田に到着後、たくさんの友人からメールが入っていた。
(皆さんメールをありがとうございました)

車内で必死に返事を打っていた。
都内に入った時、停車駅で
「ここで電車を停止します。
お急ぎのお客様は違う路線に乗り換えてください」と、アナウンスが流れた。
まぁ~私は急いでないし、他の路線と言われても、どれに乗ったら最寄駅に行くのか路線図がないとわからない。
荷物も重いし、気長に電車が動くのを持つことにした。

電車がストップし、少しすると、またアナウンスが。
「前を走行中の電車内で包丁を持った人がいると通報がありました。
今、警察が出動しています。
安全が確認でき次第運転再開になります」
停止した内容に驚き、私はデカイ声で「えっ!!!」と驚いた。
しかし、東京の人は落ち着いてますなー
全くざわつくこともなく、周囲の人に「どないしたんやろなー」とか一切話しかけることもせず、無言で電車を降りて行く。
東京人のクールさにも驚いた。


その後、電車は30分ほどで再開。
成田から3時間かけて帰宅しましたー


ちーちゃんの供養のためのミャンマー旅行を無事に終えました。

心配して下さっていた皆様、ありがとうございました。




29日の夜、バンコクの空港でご両親を見送り、
私は4日の夜までバンコクに滞在します。

ご両親は最後まで体調を壊す事なく、一足先に帰国しました。

今回は、
とにかく疲れました…
心身共に疲れ果てました…

バンコクでは弾けるつもりでしたが、とにかくゆっくり休みたい…
休養のためバンコク滞在日を5日間とっていたけど、5日では足りないくらい疲れた…

こんな悲しく辛い旅は二度としたくない…





今日(6/19)羽田発の深夜便でバンコク経由でミャンマーに行ってきます。

今日は台風が接近してきていますね・・・
ちーちゃんが亡くなってから、ちーちゃん関係の日は絶対天気が荒れる。
ご両親が羽田まで出てくる新幹線がストップしなければいいんですが…


出発前の9時過ぎに、やっと今回行くHさんも含めてと顔合わせ。
Hさんは、ミャンマーで最後にちーちゃんと会った日本人。
Hさんが名乗り出てくれたおかげで、私たちは殺害されるまでのちーちゃんの様子を知ることができた。

Hさんは、ちーちゃんへのせめての償いとしてご家族がミャンマーに行くのならと、
仕事も忙しい中、長期休暇を取ってくれ、一緒に同行してくれることになった。
こんな親切な人はいてないと思う。

今回は普通の今までの旅行とは全然違う。

今回は、私1人で行くとは思っていません。
ちーちゃんの友人代表で行かせてもらっていると思っています。

事件現場に行く日は、みんなの分までたくさんお花を買って、
みんなの気持をこめて献花しようと思っています。


また辛い思いをするやろうけど、頑張って乗り切ろうと思います。

ただ、ご両親と何を話せばいいのだろうか…

お父さんは普段はユーモアがあってすごく気さくで親しみやすい人柄なのに、
こんな状態で一緒にミャンマーにいくことになるなんて辛いです…



お父さんからの伝言です。
ちーちゃんの実家の地域では7月にお盆をするそうです。

お盆は7/13-15の3日間。
「もしも、お盆にお参りができるという方がいらしたら、ちーのためにも来てやってください」とのことです。
行けるという方は、
ちーちゃんのご実家に連絡するか、私にメッセージをください。
折り返し詳細をご連絡させてもらいます。





プロフィール

かおり

Author:かおり
旅が大好きで、気がつけば50数カ国旅をしています。2006年念願だった旅行記を出版。
多くの人に旅の魅力やイスラムの国々の良さを知ってもらおうと、書著「やっぱり旅はやめられない イスラム編」を書きました。
2008年に第2弾となる「中国編」を出版。

最寄の書店での注文、もしくは上の“おすすめ商品!”の「やっぱり旅はやめられない」をクリックしてみてね!

プロフィール写真は、私本人ですが実物はまるで違います…あしからず。

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日記タイトル一覧
  • 2012.6ミャンマー
2012年07月15日 (日)
ヤンゴン到着
2012年07月12日 (木)
5時間遅れの出発
2012年07月06日 (金)
昨日(5日)帰国しました
2012年07月02日 (月)
無事終わりました
2012年06月19日 (火)
今晩マンマーに出発します
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by AlphaWolfy
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