台風15号は石垣島では瞬間風速71mにもなり、竜巻ほどの強烈な風だったみたいですね。
西日本にも大きな被害をもたらしましたね・・・
被害にあわれた方々にはお悔やみ申し上げます・・・。

台風15号は台湾の台北近くを通過していた。
台北に住む中国人のカンちゃんに連絡した。

「今回の台風は沖縄ですごい強風みたいやけど、台北は大丈夫?」

「その台風は「ガチョウ」のことかな? こっちは全然平気だったよ」

「が、ガチョウ!? ガチョウって何?!」

「今日本に向かってる台風の名前」

「台湾では台風の名前は鳥の名前なん?」

「鳥だけじゃーない。いろいろある」

「8月上旬に台湾や福建省に上陸して大きな被害があった台風の名前は?」

「¶§Δ」(日本にはない難しい漢字)

「なんて読むの?」

「人物名」

「歴史的人物?」

「違う。誰かわからない」

「この名前は台湾だけ? それとも中国本土でも同じ名前を使ってるの?」

「中国でも同じ名前。日本は?」

「日本は発生した順番から番号がつかられ台風1号~順番に上がっていって、新しい年になるとリセットされる。
だから今の台風は『台風15号』って呼ばれてる」

「日本は番号!? 面白くないなー」

そっかー、日本の台風の名前は単純なんかぁ~


アメリカは人物名。
男女が入れ替わる。

タイはどうかな?
タイ在住のウェス君に聞いてみた。

「タイは台風来ないから、名前なんてないよ」

「へ!? タイって台風来ないの!?」

西側のプーケットとかサイクロンが来そうな気もするが・・・?
ミャンマーはサイクロン被害は聞いたことがあるが、そういえばタイって聞いた記憶がないような??

「タイは台風もこないし、地震もないよ」

「自然災害がない国なんやー」

「ただ、洪水はあるけどね」
洪水ならちゃんと対策すれば、なんとか回避できそう。


台風(発生する地域によってサイクロン、ハリケーンと名前が違うが)
の名前って国によって違うんですね。

日本のお隣、韓国ではどう呼ばれてるのかなー?と調べてみると、韓国も中国のように動植物とかいろんな名前なんですね。

カンちゃんが感じたように、番号で呼ぶ日本はユーモアにかけるのかな??

私個人的には、番号だとだいたい何月に発生したか推測できるから、番号のほうがいいと思うけどね。

まだ8月だというのに、急に涼しくなりましたね。
一週間前までの猛暑が嘘みたい。

暑かった国の話しの続きを。

夏のイラン、ウズベキスタンを経験した後、私は次にドバイに飛んだ。

夏のイランは暑かったが、お金を多く払えばクーラー付きの部屋で泊れた。
お金を節約するため、クーラーが無いホテルで泊ったこともあったが・・・

しかし、ウズベキスタンはクーラー自体が無かった。
それに、高級ホテルの方が、壁が太陽で焼かれ、室内に熱気がこもって、サウナ状態だった…
1万円も払ってるのに、ホテルはオンボロでサウナのように暑く寝苦しく眠れず、すごく悔しかった・・・


ドバイの空港は、冷房がかかっていて涼しい!
電気がついている!
当たり前のように思うでしょうが、
電気がほとんどなかったウズベキスタンからドバイに行くと、近未来にワープしたような錯覚におちいった。
ウズベキスタンの空港は電気がほとんどついてなく薄暗かったが、ドバイの空港はキラキラと輝いていた。
まぁ~ ドバイの空港は、世界の空港の中でも、本当にきらびやかですけどね。


2000年の夏、イラン、ウズベキスタンの次は、ドバイで3泊することにしていた。

ドバイの夏も暑い。
46度以上の暑さで観光客が減る。
ドバイでは7.8月の真夏はオフシーズンになる。
それを打破するため、当時ドバイではキャンペーンを行っていて、一部の高級ホテルが半額以下で宿泊できた。

当時、ドバイは認知度が低かった。
ドバイに行くと決まったとき、友人たちに「ドバイに行く」と言っても、「ドバイ?どこ?何しに行くの?」と聞かれてばかりだった。
「ドバイはすごいねんで!」って言っても、全然理解してもらえなかった。


私は、通常の1/3で宿泊できるというメリディアン・ミナ・セヒーヤ・ホテルで宿泊することにした。
1泊7500円!
奇跡的にも偶然に、私と同じ日にドバイに行く計画をたていた友達と一緒に泊ることになった。
海外のホテル料金は、部屋の料金。
2人で泊れば半額の3750円!
3泊しても11,250円!

空港からホテルまでは、今までのようにリムジンバスで行こうかな?と考えていた。
ドバイの空港に降り立つと、ホテルからのお迎えの人がオシャレなボードを持って立っていた。
何気に見ていると、な、な、なんと、私の名前が書かれてあった!
こんな経験は始めてて、半信半疑に近づいた。
「Ms.KAORI?」
「Yes・・・」
「ようこそお待ちしてました」と私の荷物を持ってくれ、日本では見たことがない大きなベンツに荷物を積んだ。
メリディアン宿泊者の為のお迎えだった。
客は私1人。
私の為だけに、わざわざベンツでお迎えに来てくれるなんて~~
イラン、ウスベキスタンを旅してた時の状況とあまりにも違い、何が何だか意味がわからず、シンデレラになった気分だった。

私を乗せた巨大なベンツは、ホテル入口に付けてくれた。
ドアマンがドアを開けてくれ、ボーイが荷物を持ってくれる。
私の汚いバックパックを持ってもらうのは気が引ける。
ボーイのズボンが汚れてしまう~~

ホテルのロビーは、ピッカピカ!
天井の明りが床に映ってる!
ドバイ・メリディアン・ロビー

私以外は、上品な欧米人ばっか。
東洋人はいなかった。
私の格好は、ウズベキスタンでまともにシャワーを浴びれず、すごく汚かった。
ウズベキスタンでは、シャワーの蛇口をひねると大量の砂が混ざっていたり、シャワーがなくバケツに水を貯め、水を体に掛けていた。

フロントの女性は私がイラン、ウズベキシタンを旅しドバイに入ったことも理解していて労ってくれた。

当時、ドバイはインビテーションビザが必要だった。ドバイ入国三日前にFAXで発行される。
インビテーションビザをウズベキスタンのホテルにFaxしてもらわないといけず、予約時に事情を説明していた。
ウズベキスタンの4つ星ホテルの通信事情が悪てくFAXが届かず、何度もドバイに国際電話をしていた。
そんなこともあって、ねぎらってくれた。


フロントでは、イタリア製のオシャレな椅子に座って、チェックイン手続きをする。
冷えたトロピカルジュースをサービスしてくれた。

一か月近く冷たい飲み物がなかなか飲めなかった。
いや、たまに飲めたが、外気が暑すぎて意識もうろうと飲んでいた。

メリディアンホテルではホテル内も冷房が効いていて、頭もシャキットする。
久しぶりに気持良くジュースが飲めた。

+3000円UPでロイヤルルームに宿泊できることを教えてもらった。
2人で宿泊するから1人1500円!
友達はまだドバイに到着してないが、彼女もきっとOKするだろうと、ロイヤルルームに変更してもらった。

最上階のすぐ下の階。
最上階はロイヤルルーム専用のラウンジがある。
ロイヤルルーム宿泊者は、おしゃれで上品なラウンジを使用することができた。

部屋からはビーチとホテル専用のマリーナが一望できる。
ドバイ・メリディアン・ビーチ

部屋のベランダには、テーブルと椅子が置いてあった。
(部屋にベランダがあるのはロイヤルルームだけ)

ドバイの空港から、迎えの巨大なベンツ、ホテル内は冷房がかかり、外の暑さなど全く感じない。
ドバイは暑いって聞いてたけど、全然暑くないやん~
外気の暑さを全然感じない。

せっかくのロイヤルルームを堪能しなくては!
ベランダの椅子に座ろうと、窓を開けると、もあ~んとした強烈な湿気が襲ってきた!
一瞬でメガネが曇って視界が真っ白になった。

イランのバンダルアッバーの悪夢がよみがえった!

ホテル敷地内を散策しようと建物から出ると、瞬時にメガネが曇った。
カメラのレンズも曇ってしまいモタモタしてる間に、とんでもない暑さと、まとわりつくような湿気に襲われた。
昼のドバイは47度+不快な湿気。

温度計のメモリがぐんぐん上がっていく。
47度を見て、これ以上屋外に居たくない・・・気持がなえてしまう。

イランのバンダルアッバーもそうだったが、ペルシャ湾沿いの町は気温の暑さだけでなく、ものすごく不快な湿気に襲われ、さらに暑さを感じてしまう。

ドバイも暑かったが、建物内、移動の乗り物はクーラーがガンガンかかっている。
どこでもエアコンがきいていて、とても涼しく快適だった。
そのため、イランや冷房が無いウズベキスタンに比べたら、全然平気だった。

ドバイでは、屋外を歩くことがほとんどなかった。
移動はすべてタクシーだから。
路線バスもあったが、ドバイ市民は車で移動するため、利用者がいないからか本数が極端に少ない。
バスを待つより、移動はタクシーになる。

歩くときは、ショッピングモールなどの建物内だけ。
だから、暑さでヘタることはなかった。


日本から直接ドバイ入りした友人は、「暑い~」と嘆いていたが、
私はイラン、ウズベキスタンの後だったから、まるで天国のようだった。



イラン、ウズベキスタンで40度越えの暑い夏を経験したとき、
気温が40度を超えると空気が熱く息苦しくなり、何も考えられなくなった。
経験して思ったことは、人は40度を超えると思考回路がマヒしてしまう・・・と思った。


経済が発展してる国は冷房があり、建物内に入れば天国のように涼しいが、発展途上国や貧しい国は冷房など無い。
今後気温はさらに上昇していると言われている。

年々暑くなってきてるのに、地球誕生から今までで考えると、今は寒冷時期と言われている。
今後さらに暑くなると言われている。
恐ろしい~~
受け入れるのしかないのか・・・
あぁ・・・恐ろしい・・・

2000年の夏。
私は1ヵ月半かけて、イラン→ウズベキスタン→ドバイ→イエメンを旅した。

中東の暑い国ばかり。

イランの夏の暑さを紹介しましたが、他国ではどうでしょう?

イランの次に行ったウズベキスタンも毎日40度超えの暑い国。

ウズベキスタンは、1991年12月に旧ソ連の解体とともに独立。
独立して8年足らずの2000年のウズベキスタンは、電気事情があまりよくなかった。

空港でさえ冷房が無く、電気も点いていなく薄暗かった。

町の店、レストラン、ホテルでも冷房などなかった。

地上は暑く、人出が少ない。
みんなどこにいるんだろう??と、不思議だった。

ウズベキスタンの首都タシュケントでは、地下が発達してて、みんな暑さを避け地下道を歩いていた。
地下道といっても、日本みたいに冷房は無い。
しかし、湿気が無いので、地下に入ると地上より温度が低く涼しい。


夏のウズベキスタンは、日差しが強烈で毎日40度越え。

どこにも冷房はないが、乾燥してるため、日陰に入るとちょっと涼しい。
無風の建物内より、風が通る木陰が涼しい。

男性はこのように木陰があるカフェ(チャイハネ)で涼んでいた。
img270_2015082012153735b.jpg

移動のバス、タクシーも冷房が無い。
窓を全開に開けるだけ。
昼間は、暑い風が入ってきて、うだるほど暑い。

バスはオンボロ。
ウズベキスタン 著距離バス

車内はもっとオンボロ
ウスベキスタン 長距離バス車内
車内は満席。
通路には乗客の荷物が高く積まれ、身動きできない。

このバスで18時間半かけて移動した。
一晩過ごさないといけなくて、シートは壊れてリクライニングにできず辛かった・・・・



当時、ウズベキスタンへ行くには、ビザが必要。(今も必要)
今は簡単に取れるが、2000年当時一般の個人旅行者は、現地の100ドル以上するホテルを3日間以上予約して、ホテルからの紹介状が必要だった。
物価が安いウズベキスタンで100$以上のホテルとなると4つ星クラスになる。

ウズベキスタンでは高級ホテルに泊れると期待していたが、実際予約していたホテルに到着すると、4つ星ホテルだというのに、フロントはガラ~ンとしてて、電気もついてなく薄暗い。
正面玄関にも誰もいない。

フロントカウンターにあったベルを鳴らすと老婆が出てきた。
旅館か!?

エレベーターはオンボロで、今にも止まりそう・・・
エレベーター内は、めちゃめちゃ暑い。

4つ星ホテルだし部屋にはクーラーがあるだろうと期待していたが、期待は外れだった・・・
1万円以上も払ってるのに、クーラーがついてないなんて!

地下は涼しいが、高層ホテルは太陽が当たり壁が焼け、室内は暑くてたまらない!
窓を開けても風が入って来ない。
風を通すためドアを開けたいが、防犯上危険。

ちょっと余談だが、
水の出が悪いシャワーを浴びていると、壁の大きな穴から巨大なゴキブリが出没した!
ホテルのシャワールームの、排水溝でもない場所の壁に大きな穴があることがおかしい!
1万円以上もするのに、10ドルの安宿レベルのクオリティだった・・・

夜になると、風も止まり、部屋は蒸し暑く汗だく・・・
1万円以上も払ってるのに、こんな寝苦しい夜を過ごさないといけないなんて・・・

ウズベキスタン入国した時から、荷物が紛失し(飛行機に積まれず、イランの空港で置き去りになっていた)
紛失した荷物の中にメガネを入れていたため、何も見えない・・・
看板や標識が見えず、近くまで見に行かなくてはいけず、体力消耗しヘトヘトだった。
期待していた高級ホテルは、今までにないほどオンボロ。。。
踏んだり蹴ったりで、精神的に参ってしまった・・・


残りの2泊1泊100$以上する4つ星ホテルも、クーラーなどなかった・・・

ビザ取得の為、日本から3泊分を予約した1万円以上するホテル以外の宿泊は現地で探した。
どのホテルも1泊20$以下。
同じくクーラーなどないが、高級ホテルより不思議と寝苦しくなかった。

昔ながらのウズベキスタンの住居を改装したホテルは、壁が分厚く室内がひんやりしていたり、天井が高くファンがあった。
ファンがあるだけでも生き帰る。
高級ホテルよりよほど良かった。

2000年当時、クーラーがあった場所は、5つ星ホテルだけだった。

ウスベキスタンも暑かったが湿気が無い分、イラン南部に比べたら全然耐えられる。
それに気温も50度を超えることはなかった。

お盆があけ、日本では大気が不安定ですが、
少し前まで毎日とっても暑かったですねー

8月上旬、イランのバンダル・マフシャフルでは74度を記録したとか!?

74度!?
ありえへん~
って思った方は沢山いるのではないでしょうか?

私も最初聞いた時、一瞬耳を疑ったが、真夏のイランに行った時のことを思い出し、
イランならあり得るかも・・・って思いました。

私がイランに行ったのは7月中旬過ぎら8月上旬にかけて。

暑いことは覚悟してたけど、ここまで暑いとは思ってもなかった・・・

前回、イラン南部、ホルムズ海沿いのバンダルアッバーの暑さを紹介しましたが、
「イランで74度(バンダルアッバー編)」
今回は、イラク、クエート国境近くのアッファーズに行った時の話を。

アフワーズは、クエートとイラクの国境付近の町。
今回74度を記録したバンダル・マフシャフルと近い。

私が体験したアフワーズの暑さと似ているのかもね。
あの暑さは、思いだすだけで恐ろしい・・・


アフワーズへは、国内線で一気に飛んだ。
(イランは原油国の為、交通機関の料金が激安。
2000年当時、国内線だと片道1000円ほど。
長距離バスだと400円以下だった。)

飛行機が降下すると、炎が点在していた。
これはいったい何!?
始めて見る光景に一瞬理解できなかったが、アフワーズはイラン有数の産油地帯だった事を思い出した。
油田の炎だった。

飛行機がさらに降下し、地面が近づいてくると、機内の冷房が止まったと思うくらい暑くなってきた。
この暑さは何!?

機内は暑くなったままアフワーズに到着した。

飛行機のドアを開けると、機内に熱風が入ってきた。
タラップに出ると、熱風が襲ってきたが、「バンダルアッバーに比べたら、そんなに暑くない!」と瞬時に思った。

しかし、それはまだ機内での冷房の余韻があったから。

機内から出ると、温度はどんどん上がり、あっという間に43度になった。
その後、どんどん温度計の針は上がり、MAX50度の目盛をぶっちぎっていた・・・

日が沈みかけの夕方なのに・・・

大地が熱せられてるみたいな熱風だった。


アフワーズに降り立った時、バンダルアッバーに比べたら暑くない!?と最初は思ったが、空港から出ると外気は暑かった・・・

バンダルアッバーは、”湿気の蒸し暑さ。”
アフワーズは、”外気が熱い。”


アフワーズは空気が熱く、ドライヤーの熱風を浴びてるよう。
息を吸うと口の周りや鼻が痛い。
息をする度に気管が熱せられ体内がヒリヒリする。
肌が出ている顔は、熱風で肌を突き刺すような痛みが襲ってきた。
タオルで口元、顔全体を押さえて息をする。

バスに乗ろうと手すりを持った時、火傷しそうな熱さに驚いた。
車のドアノブも熱せられ、直接触れない!

タオルを出す為リュックのファスナーを開けようとすると、ファスナーの金具が熱くて、直接触れなかった。
鉄は全て熱せられていた・・・

さっき、機内から下りたばかりなのに、私のリュックは瞬時に高温になったみたい・・・
リュックに入れていた、ペットボトルの水もお湯になっていた・・・

まるで炎で熱せられたような灼熱地獄・・・
なのに首都のテヘランくらいの人口の多さ。

なんで、こんな暑い町で住むの!?と思ってしまうが、この町は大規模な油田があり、
イランで最も重要な工場地帯。
仕事があれば人は集まる。
みんな仕事の為に熱くても耐え、暮らしているのでしょうね・・・

夏のアフワーズでは、誰もが汗だくで、険しい顔をしている。
こんな暑ければ、誰だって険しい顔になってしまう。

アフワーズでは、夜になっても40度以上だった。
夜になると、町には人があふれだす。
夜、涼しくなり買い物に出てきたみたい。
涼しくなったと言っても、まだ40度以上。
クソ暑いのに、女性は黒いマントのアバヤで全身を覆っている。
熱気がこもり、女性とすれ違うとムア~ンとしたものが伝わってくる。
道路には、車と人であふれ、排ガスと人の熱気で気分が悪くなる。


灼熱地獄のようなアフワーズに行ったのには理由があった。
アフワーズから北に117kmのところに、紀元前521年のアケメネス朝時代に首都だったシューシュー遺跡と階段状ピラミッドのチョーガザンビルがある。

遺跡へは路線バスでも行けるが、この暑さでクーラーも無い路線バスに揺られ、バス停から遺跡まで徒歩で行くなど自殺行為。
迷うことなく、ホテルでクーラー付きの車を手配してもらった。
「遺跡は、太陽が出ると灼熱になるため、日の出前から出発し、朝の9時には戻って来なければならない」と言われた。
翌朝、4時頃チャーターした車が迎えに来るため、ホテル前で待っていたが、朝の4時でさえ35度を超えていたように思う・・・

6時頃、空が明るくなり始めると、徐々に暑くなってきた・・・

2か所目の遺跡、チョーガザンビルに到着した時、車内から出ると猛烈な暑さが襲ってきた。
まだ朝だというのに、あっというまに40度をぶっちぎっていた。
昼になると、いったい何度になるのだろう・・・?

9時頃、アフワーズに戻ってくると、もう50度を超えていた。

私はその日の夕方のバスで、アフワーズを脱出した。
バスの時間まで屋外に出ることなく、クーラーのきいた部屋でひたすら寝ていた。



当時私が持っていた温度計の目盛はMAXが50度だったので、もしかしたら本当はもっと気温が上がっていたかもしれない。

今年、74度を記録したバンダル・マフシャフルは、アフワーズより東南に位置し、ペルシャ湾に近い。
バンダルアッバーのようにペルシャ湾沿いだと、ペルシャ湾の湿気で湿度が増し、さらに不快指数が高くなる。

74度を記録したバンダル・マフシャフルの住人は、きっと生きた心地がしなかったでしょうね…


今から15年前にイランの熱さを体験し、
もしかしたら日本もそのうち38度とかなるのかなー?って少し思ったが、たった15年で日本も38℃超えになるとは・・・

36度超えの日数も今年は長いように思う。

あと10年、15年後、40度超えも当たり前になるのかな・・・?
あぁ・・・恐ろしい~~~



2015年の夏は暑いですね・・・

2012年、首都圏に引っ越し、関東の夏は大阪より日差しが弱く、涼しいと感じた。
しかし、2015年の関東の暑さは今までと違うような気がする。
毎日ほんと暑い・・・

8月。
イランの南部のバンダル・マフシャフルという街で74度になった。

とうとう、イランもここまできたか・・・

74度なんてありえない~
74度なんて、何かの間違いじゃーないの?
74度って実際の気温じゃーなく、体感気温じゃーないの?
と、思われた方、いるんじゃーないでしょうか?

私はイランで50度を体験してるから、あの酷暑のイランなら74度になってもおかしくないと思った。

ちなみに50度は、当時私が日本から持って行った温度計の目盛りが50度しかなく、目盛を振りきってた。
だから本当の最高気温はわからなかったが、熱風で皮膚が焼けそうな感覚になった。

イランに行ったのは今から15年前の7月。
15日間の滞在で、イラン各地の町を旅した。

その中で、夏は灼熱になると聞いていた、クエート国境近くのアッファーズという町と、
ホルムズ海峡沿いにある、夏は動物も動けないほど酷暑と聞いていたバンダル・アッバーという町にも行った。

暑さを体験するために行ったわけではなく、それぞれの町に見たい物があったから。

イラン南部、ホルムズ海峡でペルシャ湾沿いのバンダルアッバーへは、夜行バスで行った。
当時、イランの長距離バスは、路線によって冷房が無いバスがあった。

私が乗ったケルマン→バンダルアッバーの長距離バスは冷房が無かった。
ケルマンでも、昼間は軽く40度超えだったが、乾燥してるため日陰に入ると涼しかった。


まだ夜が明けていない朝5時にバンダルアッバーに到着した。
バンダルアッバーに到着したとたん、汗がド―――と噴き出た。

苦しい・・・
とにかく、息苦しい・・・

まだ夜が明けてなくて暗く、どこで降ろされたのかわからなかった。
灯りがある方に歩いていくと、小さな小屋のカフェがあった。

暑くて苦しい・・・
「何でもいいから冷たい飲み物をくれ」と頼んだが、ここには冷蔵庫が無く、温かいチャイ(紅茶)しかないと言われた。

あまりの暑さに体力が奪われ、私は動けなかった。
カフェで温かいチャイを飲んで休憩をすることにした。

当時のイランは、女性の服の制限が厳しく、観光客にも髪の毛が出たらダメ。
スカーフ着用。
服装も厳しく、肌を見せてはダメ。
体の線が見えてはダメ。
暑いが我慢をし、長ズボン、長袖、スカーフを着用していた。

あまりの暑さに私は耐えられず、スカーフを外した。
地元民も、見ないふりをしてくれた。
服装をチェックするパトロール隊に見つかれば厳重注意されるが、まだ夜も開けていない為、地元民も多めにみてくれた。

しかし、夜が明け周囲が明るくなると、さっきまで許してくていた地元民やカフェの店員から「そろそろスカーフをしろ」と注意された。

スカーフをすると、体内に熱気がこもり、私は急に気分が悪くなり、嘔吐した。
今から思うと熱中症だった。

意識が遠のくが、ここで倒れたらダメだ!!と必死に自分に言い聞かせ、タクシーに乗りホテルに行ってもらった。
が、乗ったタクシーの運転手が道を全く知らず、地図の見方も知らない!
私が道案内するが、まっすぐと言ってるのに、Uターンする!
ホテルの前を通ってるのに、通り過ぎて人に尋ねたりする!
道を尋ねた地元民がテキトーで「あっちだ」と言って全然違う方向を指さす。
私が「そっちではない!さっき通った路地を入って!」と言ってるのに、タクシーの運転手は地元民のテキトーな案内を信じ、全然違う方向に行く。
暑くて、思考回路が壊れてるのに、さらにイライラさせる。
中東のタクシーってこんな事がしょっちゅうあったなぁ~

ぐるぐる回って、私の指示通りに行くとやっとホテルがあった。

部屋を見せてもらおうと、ドアを開けると、熱風が襲ってきた。
とんでもなく暑い!
溶けそう・・・

「こんな暑い部屋で眠れない。エアコンが効いたフロントで泊らせてほしい」と言うと、
フロントの男性は、サウナより暑い部屋に入り、エアコンをつけてくれた。
部屋の温度が下がるまで、冷房がきいたフロントで待った。

やっと部屋の温度も下がり、シャワーを浴びたら、水をひねったはずなのに、熱湯が出てきた。
水のタンクが熱せられて、シャワーが熱湯だった。
暑くてシャワーもまともに浴びれない・・・

朝7時で38℃になっていた。
バンダルアッバーは、温度より湿度が酷かった。
不快指数200%
湿気も120%あるんちゃうかー!ってほどだった。

涼しくなった部屋で一眠りして、昼ごろお腹が空いたので部屋から出ると、熱風が襲ってきて全ての毛穴から一気に汗が噴き出した。

通りには、人も動物も全ていない。
ゴーストタウン化していた。

あるのは、照りつける太陽だけ。
強烈な日差しで、辺りが真っ白に見えるほどだった。

昼間の気温が何度だったのか、当時の日記を見直しても書いてなかった・・・
たぶん、あまりの暑さで、温度計を見る余裕がなかったように思う。

バンダルアッバーは想像以上に暑く、1泊する予定だったがこんな暑い町に滞在できない!と急きょ予定を切り上げ、その日の夜の飛行機で酷暑のバンダルアッバーを脱出することにした。

午前中や昼間は、誰も歩いてなかったバンダルアッバーの町だったが、
夜の7時で太陽が沈むころになると、町に人があふれだしていた。
日が暮れても湿気は酷く、息も苦しいほどの酷暑な町に、こんなに人が住んでいたのか!と驚いてしまった。

バンダルアッバーの女性は、みんな仮面を付けている。
それを見たくて、酷暑のバンダルアッバーに飛び込んだ。
空港までのタクシー内から、やっと仮面の女性たちを見ることができた。

こんな暑い町によぉ~住むわ~と感心したが、イランにはここよりもっと暑い町があった。




続く・・・・



プロフィール

かおり

Author:かおり
旅が大好きで、気がつけば50数カ国旅をしています。2006年念願だった旅行記を出版。
多くの人に旅の魅力やイスラムの国々の良さを知ってもらおうと、書著「やっぱり旅はやめられない イスラム編」を書きました。
2008年に第2弾となる「中国編」を出版。

最寄の書店での注文、もしくは上の“おすすめ商品!”の「やっぱり旅はやめられない」をクリックしてみてね!

プロフィール写真は、私本人ですが実物はまるで違います…あしからず。

あなたは何人目かな?
現在訪問者数
現在の閲覧者数:
無料カウンター
カレンダー(Ajax)
07 | 2015/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
日記タイトル一覧
  • 2015年08月
2015年08月26日 (水)
台風の名前
2015年08月25日 (火)
ドバイの夏
2015年08月20日 (木)
夏のウズベキスタン
次 >>
by AlphaWolfy
コメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
FC2ブックマークに追加する
FC2ブックマークに追加
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる