テラスで食べる朝食をとても喜んでくれたカー君。

「あ~ メルボルンでの暮らしを思い出すよ~
僕が暮らしていた家でもテラスがあって、前にはハーバーがあって、テラスでよく過ごしていたんだ」

「え!? どこで暮らしてたの?」

2年前の正月、カー君に会いに行くためメルボルンに行ったものの、カー君とすれ違いで会えず、2週間メルボルンで過ごすことにった。
予定が無く暇だったので、メルボルン市内をくまなく歩いたから、メルボルン市内を把握している。

「僕はハーバー沿いのマンションで住んでいたんだ」

「えっ!? あそこ!? あそこって超高級マンションちゃうの!?」

「You know !?」

「Yes!
あそこのハーバーまで歩いたよ!
ほんとにあんな高級マンションで住んでたの!?」

私はまだ信じられなかった。

スマホの地図を出してもらい、私の思っているハーバー沿いのマンションなのか確認したら、本当だった・・・

彼が住んでいたというハーバー&高級マンション
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「あんないいところで住んでたのーーー!
私なんて1泊3000円の6人部屋ドミトリーで2週間暮らしてたのに~・・・」

「僕も後で、君がメルボルンに行ったとき、僕のマンションを貸せばよかった・・・って後悔したんだよ~」

「わーー!! ほんまやーーー!!
私もあのマンションで住んでみたかった~~」

「大丈夫! 
近い将来、またメルボルンで暮らすつもりだから。
その時は、庭付きの家を買うから、いつでも泊まりにおいでよ」

「マジ!? 行く! 行く~!」

恩人家族の息子(カー君)が、8月上旬、初来日した!

カー君と会のは4年ぶり。

23時羽田に到着する。
我が家までは電車の乗り換えもある。
夜も遅い時間に到着し、初めての日本で切符の買い方などわからず困っていたら終電が無くなっては困るので、羽田空港まで迎えに行った。

2週間の滞在中、東京や京都、奈良、大阪へと移動の旅なので、「極力荷物は少なくしておいで」と伝えたが、出発直前、「いろんな人からお土産を頼まれてしまい、自分の荷物以外に大きなスーツケースも持って行かないといけない」と嘆いていた。

きっと大荷物で現れるんだろうなーって思っていたら、
小さい普段使いのリュックと、小さなキャリーバックだけだった。

荷物が少なすぎる!

久しぶりの再会で、彼が日本に来ることに感無量だったが、最初に発した言葉はこれだった。
「2週間も滞在するのに、荷物はこれだけ!?」
「僕の荷物はリュックだけ。 キャリーバックはお土産用だから、ほとんど何も入ってない。
出発前、お父さんに刺身包丁と炊飯器を買ってきてと頼まれたよ~ ありえない~」

久しぶりに再会したカー君は、また大きくなったような??

「身長いくつ?」
「僕、また身長が伸びて、今は190cmだよ」

まだ伸びとんかっ!!



家に到着すると、まず靴を脱ぐことに驚いていた。

案内した彼用の部屋は、和室。

畳の和室を見るなり、「Oh ! TATAMI!」と驚いていた。

畳ごときでこんなに驚いてくれるなんて~

夜遅い到着なので、彼の部屋には布団をしいておいた。
畳部屋に布団は、まさに「ザ・日本!」らしく、えらく感動していた。


翌朝は、我が家の唯一の自慢の広いテラスで朝食。
セッティングを終えた頃、カー君が起きてきた。
テラスに、朝食のテーブルセッティングしてあり、とても喜んでくれた。

今回、カー君用の(カー君は足が大きいのを知っていたので)テラスで履くサンダルを購入してあった。

「カー君、そのサンダル履いて」
「大丈夫! 僕自分のサンダル持ってるから」

部屋に戻り手にしていたのは、出かけ用ではなく、ちょっと近所のコンビニに行くときに履くようなサンダルだった。

「なんでそんなサンダル持ってきたの?」

「君の家で室内履き用に持ってきたんだ。 
でも家ではサンダルは必要がなく驚いたよ。」

あー! そっか!!
そういえば、中国では、どの家も室内履き用のサンダルに履き替える。
カー君は日本の家では何も履かない事を知らなかった。

「昔、お父さんは日本で1年暮らしていたけど、日本の家では室内履きサンダルは要らないなんて一言も言ってくれなかったよ~
友達も何度も日本に行ってる人がいるけど、みんなホテルに泊まるから、日本の家事情を知ってる人は誰もいなかったから、サンダルがいらないなんて知らなかったよー
テラスで使えてよかった」

奈良では築160年の庄屋だった邸宅の宿を予約してあった。

「奈良のホテルでも、サンダルは要らないかな?」

「ん~ たぶん必要ないと思うよー」

「ホテルでも要らないの!?
ほんとに!?
信じられないから電話して確認して」
と言われ、電話した。

宿に電話をすると、そのような問合せは初めてだったらしく、最初意味がいまいちわかってもらえなかった。
「室内用のサンダル・・・ですか?? サンダルは要らないですよ。 
みなさん裸足であがってますし、ウッドデッキの所にはスリッパを置いてますので」

彼に伝えると、「日本ではホテルでも素足なのか!」と驚いていた。

私の著書「やっぱり旅はやめられない 中国編」でも登場する
貴州省で助けてもらった家族の息子が、来週8/8から初来日する。

助けてもらった時、彼は高校三年生だった。
それまで日本人と会ったことがなかった彼。
学校では、戦争で日本人は悪と反日を習ってる最中。

当時、貴州省の、ど田舎(実際は大都会だけど)で、外国人など見かけることがなく、日本人など出会うこともない。

私は、中国語も話せず、ミャオ族が表紙になっている貴州省のパンフレットを握りしめ、宿がないため途方に暮れていた。

そんな時、彼とお母さんがやってきて、私を家に泊めてくれ、4日間お世話になった。

このときのいきさつは長いので「やっぱり旅はやめられない 中国編」をぜひ、読んでください。

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彼は、最初私をすごく警戒していた。
学校で反日を習ってる最中、目の前に日本人がいるのだから警戒するのは無理はない。

でも、彼のお父さんは25年ほど前、日本の某大手企業へ研修の為、1年間日本で暮らしたらしい。
お母さんは学生の頃、日本語を勉強して当時は日本語を話せたという。

日本、日本人に理解のある両親だったが、息子は反日だった。

両親とも日本語をすっかり忘れており「もしもし?」「どうも、どうも」「そうですね」くらいしか日本語を覚えていない。

私のとコミュニケーションは、息子が英語で通訳してくれた。

息子は朝6時には家を出て学校に行き、帰りはいつも夜の7時~9時。

7時のときは授業だけ。
9時の時は塾に行ってると言っていた。

息子と会うのは、家族との夕食時だけ。
私が次の町に移動す日が決まり、その前日に
「明日は最後だから、学校の昼食時に2時間帰宅するから、一緒に家でお昼を食べよう」と言ってくれた。
彼は学校の帰りに、2人分のお弁当を買ってきてくれた。
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それまで、両親との通訳としての会話しかしてなかったが、その時初めて2人だけの会話ができた。
大学受験の事、日本の今、反日感情、戦争の事、なぜ私が貴州省に一人で来たのか、外国の事などいっぱい。

私が50か国以上外国旅行していると話すと、彼は世界地図を持ってきて、「この国には行った?」「この国はどんなんだった?」と質問攻めになった。

「僕も将来必ずいろんな国に行く!
急に世界が広がった!
僕は、もっと君と話したいから、日本語を勉強するよ!」
と言ってくれた。

その1年後、彼から日本語で手紙が届いた。


私は貴州省の奥深さに魅了され、それから2年おきに貴州省を訪れている。

二回目に行ったときは、彼は大学生になっていて、その2年後に行くと、海外の大学院に行くことの相談を受けた。
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その後、彼はメルボルン大学に留学した。

「カオリ、僕がメルボルン留学中に必ず来て!」と連絡があった。

「わかった! 日本が寒い時期、オーストラリアは夏だから、冬に行くね。」

「OK!」

2年前の2014年正月、彼に会いにメルボルンに行くことになった。

2013年の夏前、「チケット取ったよ!」

「やったー! いつ来る?」

「冬!」

「もうすぐだね!で、いつ?」

「12月末~1月中旬」

「えーーー!!
その頃、僕は大学の研修でシンガポールだよ! 
研修後は旧正月で貴陽に戻るよ!
冬というのは、てっきりオーストラリアの冬だと思ってたよー」

私のつたない英語では、ちゃんと伝わってなかったのか・・・

で、結局、彼に会いにメルボルンに行ったのに、彼とはすれ違いで会えなかった・・・

暖を求めてオーストラリアに行ったのに、メルボルンは南過ぎて南極からの冷たい風が吹き、毎日凍えていた・・・

彼は、大学院を卒業したらメルボルンで就職すると言っていて、あまり連絡を取っていなかった。

そんな彼から、今年の3月ごろ久しぶりに連絡があった。

「カオリ、元気?
僕は今、上海で働いています。
上海来る時があったら教えてください」

「えーーー!!
私、2週間前、上海に一週間いたのにーーー!
もっと早く連絡くれれば、上海で会えたのにーーー!」

「大丈夫、僕が日本に会いに行くよ」

「中国人は個人旅行で日本にくるのは難しいって聞くよ。来れるの?」

中国は出身地によって差がある。
上海や北京など東側の”富裕層”なら、問題なく来れるが、内陸出身者で中国の中でも貧しいとされてる貴州省出身者は、いくら大手企業に勤めてようが、国営企業に勤務してようが、個人で日本に来るのは難しい。

「大丈夫、僕は今、○○国の大使館に就職して、今上海の領事館勤務なんだ」

ひーーーー!!
そんな国の大使館で就職したの!?
すごすぎるーー

彼は高校生の時から優秀で、大学でもトップクラスだった。

これは本人が言ってたわけではなく、帰国後知り合った貴州省出身のカンチャンに彼の高校名を言うと、
「その高校は貴州省で一番だよ!」と言っていた。

その後、彼の大学の教授と私がたまたま知り合いで、教授からも「彼は大学の中でもトップクラスで有名な優等生だよ」教えてもらった。

彼は大学時代、中国全土の大学生の中から選ばれ、アメリカに交換留学もしていた。

将来、彼はどんな大人になるのかなー?と思っていたが、某国の大使館に就職したなんて~
びっくり!

某国と日本は友好関係で、大使館職員は日本への旅行が簡単にできるらしい。

そんな彼が、来週から来る。

4日間ほど我が家で泊まり、その後は一緒に関西に行く。

出会った時から「僕が日本に行ったら、一緒に日本旅行をしよう!」と約束していた。
9年越しにその約束が果たされる。


ちょっと忙しくしていて、ブログが滞ってしまいました・・・。

このブログを今も見てくださっている方、いるのかな・・・?


久しぶりに再開したブログですが、
先週木曜日、とてもショックなことがあった・・・

その日は朝からショッキングなことがあった・・・

家から駅まで行く道中、とても小さな池がある。

その池には、毎年春頃、鴨のつがいやってきて、卵を産み10匹前後のヒナがかえる。
今年は少ない6羽がかえり、ひよこからずいぶん大きくなり、大人になりかかっていた。
いつもそのヒナたちの成長を見るのを楽しみに駅まで行く。

いつもなら朝から元気よくヒナたちが小さな池で水浴びしている。

6/28(木曜)の朝、その日も3匹の子供たちがいた。

が、様子がおかしい!

3匹とも胴体は浮いてるけど、首がぐったりしてて水中に沈めたまま、微動だにしない。

瞬時に、死んでる!と悟り、思わず「わーーー!」と叫び、時間がなかったこともあり、その場から逃げるように去ってしまった。

前日の夕方は、元気に水面を泳いでいたのに、前日の姿と朝見た姿との変わりように
その日は、あのカモ達の姿が脳裏から離れなかった・・・

その日は帰りが遅くなり、帰宅すると、貴州省出身の友人からメッセージがはいっていた。

「かおり、残念なお知らせがあります。
○○さんのことです。
心構えしてください。」

○○さんとは、貴州省の親しい知り合い。
先に私が知り合って、人脈が広い人なので、友人も今後助けになるかな?と思い、5年前に紹介した人。

いったい何やろうー?と、続きを読んだ。

「彼は4月に食道がんで亡くなったそうです。 
昨日○先生(共通の知り合いの大学の先生)が教えてくれた。
去年の11月に入院したそうです。
その時はもう末期で手術はできなかった。
先生がお見舞いに行ったとき、彼は「絶対負けない」と言っていたそうです」


友達からのメッセージを読んだ後、ただただショックで呆然とした・・・・

2年前の9月に会ったのに・・・
最後に「また連絡するわー」と手を振ってたのに・・・

まだ40代前半。
再婚し、念願だった子供が生まれたばかりで、嬉しそうにしていた彼・・・
子供もまだ2歳・・・
彼も無念だったろうに・・・


最後に会った時、共通の知り合いの大学の先生とm「その生徒たちと一緒に会い、みんなでテーブルを囲み食事をした。
彼は知り合った時から小食だったが、その時はほとんど食べなかった。

2年ぶりに会った彼は、ちょっと痩せたな・・・と思っていた。

まさか、あの1年半後にガンで亡くなるなんて・・・


彼は人脈が広く、責任感があり、兄貴肌で、日本語が話せることもあり、私も貴州省に行くたびに、いつもよくしてもらっていた。
会うときは、いつも貴州省に住む数少ない日本人を集めて食事会を開いてくれた。
貴州省に何らかの形で携わっている日本人は、その人に世話になっていた。

最後に会った時、「かおりに今の俺の仕事を見せてあげるよ」と言い、連れて行ってくれた場所がある。
貴陽の空港近くにできたばかりの『多彩貴州城』だった。

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夜、7時から、ショーが始まると言って、案内された。
建物内に入ってショーを見るのではなく、客が移動しながら、次々に展開するショーをまじかで見る。
最初は客が集められた屋外のスペースに、スパイダーマンのような人物が宙を舞う。
1人や2人ではない。

客は、謎のスパイダーマンに知らず知らずに誘導されて移動している。

移動中も次々にいろんな人が登場し、様々なショーを繰り広げる。
気がついたら、建物内に入っていて、振り向くとポールダンサーが数人いた。
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ポールダンサーに夢中になっていると、後ろで違う音楽が流れて、背後のライトが激しく動いている。
振り向くと、また違うダンサーが踊っている。

電気が消え、辺りが真っ暗になる。
ふぁっと天井が明るくなった。
天井を見ると、高い天井の壁を数人の男性がゆっくりと優雅に走っている。
ロープが見えない。
まるで宙に浮きながら壁を歩いているようにしか見えない。

ここが貴州省とは思えない。
高度な演出とダンサーの質の高さにただ茫然とするばかり。

横で見ていた彼に、「この人たち、どういう人たち?」
「俺が中国全土から集めたんだ」

「○○は、ここでどういう事をしてるの?」
「出資者。オーナーだよ」

え!? ほ、ほんまかいな???

彼と会うと、いつも驚くことばかり。



気がつけば屋外に出ていた。

そして、正面のレンガ造りの建物の壁にトン族の村の風景が映し出された。

ほれぼれする美しい映像が壁に映し出され、トン族の歌が流れてきた。

数日前まで、トン族の村々に行ってたばかりだが、映像も美しく本物の村を思い出し、うっとりしてしまった。

すると、壁が光りだした。
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何、何!?
と驚いていると、レンガ造りの建物の壁が動き出し、トン族が歌いながら登場した。

トン族の故郷、貴州省だけあって、トン族の歌のレベルが高い・・・
本物のトン族だとすぐわかった。


次々に場面やシーンが変わり、驚きの連続。

全てのショーを見終えたのは、1時間か1時間半後。
どれも驚きと予想外の演出やショーに、誰もが歓声を上げて見入っていた。

ショーが終わると、トン族の出演者たちは、敷地内を歩いて記念撮影に応じてくれる。

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それの繰り返しで、気が付くと、客は移動しながら、いろんなショーを見る。

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その日は、たまたまプレオープンの日で、客は関係者ばかり。
貸切状態で、一緒に連れて行ってもらった学生もすごく喜んでいた。

見終わった後は、みんな感激しっぱなしだった。

2年前、貴州省に行った時、友人2人も一緒だったし、貴陽ではカンチャンの結婚式もあり、結婚式がメインの旅だったこともあり、彼には連絡せずだった。
しかし、カンチャンの結婚式で共通の知り合いの先生と偶然会い、その場で彼に電話してくれた。

彼も結婚し忙しいだろうと思い遠慮したが、先生も1年以上彼と会ってなかったし、いい機会だと言って、みんなで会うことになった。

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会うたびに、高級車が変わる。

彼の事業が繁栄しているようで安心した。

家庭も仕事も順調で忙しそうだったし、その後は連絡してなかった。

去年から、私は中国のSNSを利用している。

春頃かなー?
彼に友達申請でも出そうかなー?と思った。

もしかしたら、あの頃、彼は逝ってしまったんかな・・・

だが、春から私は忙しくなり、申請せずだった。

6/28で忙しさの波がいったん終わり、9月に貴州省に行くことが決まったので、彼に連絡しようかなー?って思っていた矢先だった・・・

まさか、こんなに早く彼がこの世からいなくなるなんて・・・・

まるで5年前のちーちゃんの時のよう・・・

プロフィール

かおり

Author:かおり
大阪出身
旅が大好きで、気がつけば40数カ国旅をしています。そして念願だった旅行記を2006年出版。
多くの人に一人旅の魅力やイスラムの国々の良さを知ってもらおうと、書著「やっぱり旅はやめられない イスラム編」を書きました。
2008年に第2弾となる「中国編」を出版。

最寄の書店での注文、もしくは上の“おすすめ商品!”の「やっぱり旅はやめられない」をクリックしてみてね!

プロフィール写真は、私本人ですが実物はまるで違います…あしからず。

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サンダル持参で初来日
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