2014.5/2-5/17 16日間の旅
● 5/3 2Day-3
スリランカ出発の5日ほど前、何気にSNSを見た。
すると、ちーちゃんがペルーで知り合ったホビット君が珍しくアップしていた。
内容は「行ってきます」と、空港出発ロビーにホビット君のバックパックの写真が載っていた。
「どこ行くの?」とコメントした。
「スリランカです」と返事があった。
「えー!スリランカ!? 私も5/3にスリランカ行くよ!」
「僕、5/4に帰国するので、5/3の夜にはコロンボに戻ると思います」
「私は5/3の夜到着やから、夜一緒に夕食食べよう!」
私たちは夜にコロンボ到着。
心配性のA氏が1泊目の夜だけでも、ホテルを取っておこうと、珍しくコロンボのホテルをネットで予約していた。
ホビット君に予約してるホテルを伝え、ホテルのロビーで待ち合わせすることになった。
私が出発するまで、最新スリランカ情報をメールで教えてくれた。
「毎日ずっと雨で洗濯物が全然乾きません」
「湿気が多く、毎日大量の汗をかくので、すぐ乾くような服を持ってくるか、
服を少し多めに持ってきた方がいいです」
「仏教遺跡やシーギリアなど行くなら、傘だけじゃーなくカッパもあった方がいいです」
気候の情報はとってもありがたい生の声だった。
ホビット君とは、ちーちゃんの葬式と、東京で行ったちーちゃんを偲ぶ会の時以来。
とてもつらく、悲しく、寂しい再会だったが、今度は旅先で再会。
とっても楽しみだった。
しかし、私がコロンボ到着した時には、扁桃腺が腫れまくり唾を飲み込むのもつらく、高熱でフラフラだった。
コロンボ旧市街にあるバスターミナルに降り立つと、ものすごい湿気で蒸し暑いようだが、私は悪寒で寒くてたまらない。
着込むだけ着込んで、首にはタオルを巻き、寒さ対策。
なんとか予約していたホテルに辿りついた。
ロビーにはホビット君はいなかった・・・
コロンボに到着してないのかな?
彼は翌日の5/4の夜の便。
ほんとうなら5/4にコロンボに到着しても大丈夫。
いろいろ観光してみて、行きたいところが見つかりコロンボ到着を遅らせた可能性もある。
バックパッカーは現地で予定を考える人が多い。
私もそう。
帰りの飛行機に間に合えばいいのだから。
最後に連絡した時
「私の事は気にしないで予定を変更してくれてもいいからね」
と伝えておいた。
「僕、5/4の最終日はコロンボを観光したいので、5/3の夜コロンボ入りして、同じホテルに泊ろうと思ってます。
でも、もし行けなかったらごめんなさい」
今回A氏が ipad mini を持参した。
Wi-Fiがあるホテルなので、ホテルロビーにいなかったら、メールで確認することになっていたが、
フロントで「日本人の男性が来なかったか?」と聞いてみた。
答えは「NO~」だった。
あー、残念~
部屋で、荷物を置いてベットに倒れ込んでいると、ノックがした。
出てみるとフロントの男性で、私にメモをくれた。
そのメモを見ると、日本語で
「ホビットです。 203号室にいます」と、書かれてあった。
わー! ホビット君やーーー
しかも2つ隣の部屋だった。
すぐホビット君の部屋をノックし、久しぶりの再会をはたした。
「何かあれば連絡はメールで~」とか言ってたけど、結局は昔ながらの伝達方法だった。
私は熱でフラフラだったが、A氏と3人で外に食べに出かけた。
しかし、店が次々に閉まって、食べるところがなかなか見つからない。
やっと見つけた地元民が行くようなカレー屋の食堂に入った。
私は扁桃腺の痛みと熱で、食欲が無く食べられない。
A氏も機内食でお腹いっぱいで、私たちはフレッシュジュースを注文。
ホビット君は、お腹空いたとカレーを注文。
(一緒に夕食食べようと約束してたので、彼は食べずに待ってくれていた)
すると、カレーがバケツで運ばれてきた。

「バケツ!?
僕、いつもはまともな店で食べてたから、こんなローカルな店、スリランカに来て初めてですよー」と戸惑っていた。
この店は地元民しか来ないのか、私たちが入ると珍しがって、いろんな人が私たちのテーブルを取り囲んだ。

スプーンもフォークもない。
スリランカ形式に手で食べるしかない。
ホビット君は、私やA氏、スリランカ人に見守られてながら、
一生懸命手で食べていたが、なかなか難しいらしく食べにくそう。
「あー ダメだ~」と言って、携帯用の箸を出した。

お箸の方がおいしく食べれると嬉しそうだった。
私は喉が痛くてあまり声が出なかったが、久しぶりにホビット君と再会でき楽しい夜だった。