人の死を通して自分の死を考える

ブログで公表しようかしまいか、ちょっと悩んだけど、アップすることにします。





先週、義理のおばあちゃんが90歳で亡くなった。
今回なくなったおばあちゃんは亡くなる少し前まで御近所さんに助けてもらいながら、
田舎で1人暮らししていた。
とは言うものの、今年に入ってから体力も落ち、1ヶ月おきに実家で暮らすようになっていた。

10月中旬頃から急に食べなくなりだした。
いつものように病院へ診察に行くと、先生から
「もう入院させた方がいいですねー」といわれた。
しかし、ベットの空き待ちで数日間実家で過ごしていた。
「もう食べなくなった」とは聞いていたけど、トイレは自分で行くと聞いていたから、
あまり深刻に受け止めなかった。
しかし、入院する数日前から、便をもらすようになってきていたらしい。

おばあちゃんはずっと昔から、ちょっとしたことでも大げさに言い、周囲からかまってほしい性格。
人を見ると、手首を見せ
「なんか出てきたんやー ほら、ここ見てみー 」
と言って注目を浴びるのがすき。
ちなみに、おばあちゃんが「何か出てきた」といつも騒いでいたのは骨。
ただおばあちゃんが痩せて、今まで肉に埋もれていた骨が浮いてきただけのもの。
「おばーちゃん、これは骨や」
「そーかー 骨かー」
3~4年ほど前からこんな会話や同じことを何度も繰り返すようになっていた。
痴呆症の表れ。

おばあちゃんが1人で住んでいた家には芝生の庭、畑、竹やぶもあって、
85歳を過ぎた頃には自分で手入れができなくなり、3年ほど前から私は毎週末家に行き
お婆ちゃんの身の回りの世話や食料を買いに行ったり庭の手入れをしに行っていた。

今年に入って、おばあちゃんが実家で滞在することも増え、私がお婆ちゃんの家に行くのは
2カ月おき程度に減っていて、最後に世話をしたのが8月。
家の掃除、庭の草むしり、芝刈りなどして帰った。

おばあちゃんがだんだん弱っていってる姿を見てきたこともあって、私も心の準備をしていたので、
10月末に入院したと聞いたとき、さほど驚かなかった。
それより、入院して鼻から栄養剤をチューブで入れていると聞いて、
義父方のお婆ちゃんのように、意識がなくなっても胃に穴を開けチューブを挿入し、ただ息をしているだけという生きかたをさせられるのでは・・・
とよぎった。

今年2月に亡くなった義理のおばあちゃんが10年間ボケて、
最後には胃に穴を開け栄養をチューブで補給する
「胃ろう」を3年ほどしていたから。

私個人の考えは、そこまでして生きたくない。
私の親もそれはしないでくれと言われている。

しかし、義父の考えは違う。
1分1秒でも、意識がなくても生きていてほしいという考え。
それは自分の母だけではなく、義母のおばあちゃんに対しても同じことを言っていた。
(それはそれで、すばらしい考えだとも思う)


最近、末期医療に携わっている先生が書いた本を読んだ。
その本には、「人は自分の思うように死ねない」と書かれてあった。
「死が近づいている患者は意識モウロウで、自分の意思があっても伝えれず、
家族や親族が決断することになる」
人工呼吸器を付けられていれば、話すことなどできない。
ボケてしまうとなおさら言えない。
だから、生前意識がハッキリしているときに、家族には自分がしてほしい治療方針など
をしっかり伝えておかないといけないという。

私も昔、親の死に直面し、そのことを痛感した。



11/3にお婆ちゃんが入院したという病院に見舞いに行くと、鼻からチューブが通され栄養剤を入れていた。
もう目を開ける事さえできず、口は顎がはずれているのか!?
と思うほどおいっきり開き、おばあちゃんの唇や口の中はカラカラ。
口がカラカラすぎて口臭も酷い。
舌は乾燥しカチカチになっている。

口の中を少し潤わせてあげたい・・・
しかし、ベットの横には義父の書いたメモがあった。

「水分を与えると、水が気管に入ってしまうので、少しの水分も口に入れないように!」

いくらなんでもかわいそうすぎる・・・
この状態では、もう長くないと感じた私は、義父の忠告を無視し、ガーゼに水を含ませ
カラカラになっている唇や舌を拭いてあげた。


おばあちゃんは、喉には痰がからまり、いびきをかいている状態で息をしているだけになっていた。
10回呼びかけて反応があるのは1回程度。


その状態を見て、もうあと数日しか無理だろう・・・



それから約1週間後におばあちゃんは息を引き取った。
人工呼吸器も付けず、胃ろうもせず、おだやかな老死だった。

おばあちゃんは90歳だった。
大往生。
人は、必ずいつかは死を向かえる。





もしも、私がもう身動きできなくなり死が間際になり、口がカラカラになっていたら、
口の中に水分がほしい。
気管に入ってもいい。
それが原因で肺炎になって死亡してもいいから、口の中に水分がほしいです・・・・

そして、人工呼吸器や胃ろうは、付けてしまったら外す事ができないからしてほしくない。

一分一秒でも長く生きることよりも、
私は意識あるうちに人生を楽しみたい。







自分の死について考える人って案外少ないようですね。
元気なうちからそういう類の話はしてはいけないという人もいますね。

近頃、医療の進歩のおかげで、昔なら死んでいる病気でも薬や手術で治ったり。
病気になったとしても治るのが当たり前と錯覚を起こしてしまう。
人の死が身近ではなくなったように思う。
しかし、人は早かれ遅かれ必ず死を向かえる。
そして、自分も。。。


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プロフィール

かおり

Author:かおり
旅が大好きで、気がつけば50数カ国旅をしています。2006年念願だった旅行記を出版。
多くの人に旅の魅力やイスラムの国々の良さを知ってもらおうと、書著「やっぱり旅はやめられない イスラム編」を書きました。
2008年に第2弾となる「中国編」を出版。

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プロフィール写真は、私本人ですが実物はまるで違います…あしからず。

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  • 人の死を通して自分の死を考える
  • 2009年11月17日 (火)
  • 13時20分23秒
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